しばらく秀吉発給文書から離れていたが、視点を再び秀吉側に戻してみよう。 路次*1仁残し置*2候其方人数千人之事、木曽江*3召寄*4、材木山出*5可仕候、猶奉行*6共*7可申候也、 三月廿三日*8 (朱印) 羽柴岐阜侍従とのへ*9 (四、2994号) (書き下し文) 路次に残し置き候その方人数千人のこと、木曽へ召し寄せ、材木山出し仕るべく候、なお奉行ども申すべく候なり、 (大意) 小田原までの途上で残してきた兵士千人の件について。木曽へ呼び寄せ材木の山出しをさせなさい。詳しくは使者が口頭で申す。 天正17年月日未詳の「山中城取巻衆書上」*10によれば、当初伊豆国田方郡の山中城を包囲する軍勢は以下…