楽浪河内について。中国の秦から朝鮮の楽浪郡へ、そして百済を経て、倭国へと、その各国への渡来や亡命による歴史のつながりを示す人物である。次の流れで紹介していく。 ・楽浪河内(さざなみかわち)・高丘比良麻呂(たかおかのひらまろ)・沙門詠(しゃもんえい)・沙門詠の祖先・法王宮職(ほうおうぐうしき)・754年の朝貢の諸外国における大食国(ペルシャ)に関する記述・朝貢の諸外国における席次の関係と冠位制度に関する考察・まとめ ■楽浪河内(さざなみかわち) はじめは無姓で、楽浪(さざなみ)であったとされる。 712年(和銅5年)7月17日、播磨国の大目(だいさかん)・従八位上の楽浪河内はよく務め、正倉(税と…