浄土宗に深く帰依していた、その地の地頭・東条景信は、念仏宗を非難中傷する日蓮に対し、激しい敵意を抱く。景信による襲撃の恐れもあり、日蓮は故郷を離れ、一路鎌倉へと向かうのであった――というのが、現在の日蓮宗に伝わる公式ストーリーである。 しかし実際のところは信仰の問題というよりは、清澄寺と東条氏との間で領家の権益をめぐってのトラブルがあった、というのが真相のようだ。裁判の結果、東条氏が全面敗訴したのだが、この際に清澄寺の僧として精力的に弁護活動に動いたのが日蓮であり、これが理由で景信から憎まれたようである。 だがこうしたトラブルがなくても、いずれにせよ何処かの時点で日蓮は鎌倉へ向かっていただろう…