紫式部の対談で、 紫式部が書いた、源氏物語は、その頃は今の様にコピー機もありませんから、源氏物語を全部読めた人はいなかったのではないかと。 それに、源氏物語を読めた人の数も限られていて、当時は、そんな人気がなかったのではないかという見解でした。 なので、紫式部は、当時は、中宮彰子の近い女房として有名であった者として、認知されていたのではないかと、書かれていました。 また、源氏物語は、道長プロデュースと言われるが、それは、最初の巻、だけだったのではないかという話。 しかし、紫式部の生涯は、清少納言などと比べると、非常に追いやすいらしい。 小右記に、紫式部と見られる女房が何度も登場するらしい。 日…