平安時代あるある 、、、ざっくりとあらすじを書きましたが、 皆様が疑問に感じるであろうことの一つに、 「皇子の暗殺なんてしたら罪に問われるのでは?」 というのがあると思います。 歴史の年表を確認すると、古代日本、飛鳥・奈良時代には、 皇位継承権をめぐって争いが絶えず、 もっともらしい理由で罪を着せられたり、 罠にはまって謀反人にされたりで亡くなる皇子はとても多かったのです。 「源氏物語」では、後宮での女の闘いを描くことで, 実際の政権争いを浮かび上がらせています。 桐壺帝の后である弘徽殿女御は右大臣の娘で、 后の中で最初に男子を産んで、 その子は皇太子になると思われていますから、 右大臣側とし…