片平晋作

片平晋作

(スポーツ)
かたひらしんさく

1970〜1980年代のプロ野球選手。旧名「伸作」。
左投左打、ポジションは一塁手・指名打者。背番号は22→25→4→2番。
1949年8月5日、生まれ。大阪府出身
上宮高等学校から東京農業大学に進む。
1972年、ドラフト4位で南海ホークスに入団。
1974年、「晋作」に登録名を変更。一軍に定着。
1979年、打率.329で打撃成績5位となる。
1982年、山下律夫山村善則との2対2の交換トレードで、黒田正宏と共に西武ライオンズに移籍。一塁手として定着し、リーグ優勝・日本一に貢献した。一本足打法から繰り広げられる打撃を見せ活躍、西武ライオンズの黄金時代を支えた。
1986年、清原和博の台頭により出場機会が減少。
1987年、広瀬新太郎との2対1の交換トレードで、永射保と共に横浜大洋ホエールズに移籍。左の代打の切り札として活躍した。
1989年、コーチ兼任となる。同年、現役引退。
1990年、西武ライオンズに一軍打撃コーチとして復帰。
1995年から1997年まで西武ライオンズ二軍監督。1998年から2007年まで編成部長。2008年から2009年まで西武ライオンズ二軍監督を歴任。
2018年1月22日、死去。