玉繁寺(ぎょくはんじ)は鹿児島市喜入町の旧麓(もとふもと)にあった。喜入肝付氏(きいれきもつき)の菩提寺で、一族の墓所がある。 喜入肝付氏は文禄4年(1595年)から明治初頭の版籍奉還まで、喜入の領主であった。薩摩藩(鹿児島藩)の家老も出している。ちなみに、幕末に活躍した小松清廉(こまつきよかど、小松帯刀、たてわき)もこの一族の出身である。 明治時代に玉繁寺は廃寺に。跡地は共同墓地や畑地となっている。ただ、高台のほうに登っていくと、喜入肝付氏累代の墓所が今もある。 喜入肝付氏とは 玉繁寺跡へ 肝付兼善(小松帯刀の父)の墓 喜入肝付氏とは 肝付氏は大隅国高山(こうやま、鹿児島県肝属郡肝付町)を拠…