生活再建 地震から2週間弱で電気や水道といったインフラが開通し、徐々にではありますが、工場では生産活動が再開し始めました。一方で宮城県などの被災三県では深刻なガソリン不足で自家用車での通勤ができず、急遽、近隣の貸切バスを20台近く借上げて通勤バス網を構築し、送迎を行いました。 宇都宮の研究所と宮城の工場間の出張も、新幹線が普通のため、出張者用のチャーターバスを毎日一往復走らせました。高速道路はようやく開通しましたが、道路が波打っているような状態でスピードも出せず、自衛隊や警察の車両などがたくさん走っている異様な光景だったことを覚えています。 会社の事業活動がようやく軌道に乗ってきた頃、会社とし…