おぼろげな記憶によれば、 大学で教員たちが行っているつもりになっている「講義」「ゼミナール」と称するモノを、教員自らが、「授業」と呼ぶようになったのは、おそらく慶應義塾が最初ではなかったろうか。福澤諭吉は、真の意味で先生であった。その風姿が残っていたのだろう。 授業は、教員と子供との関係で成り立つが、言うまでもなく、教員の責任が大きい。それが嫌で、大学教員は、愚にもつかないおしゃべりや時間つぶしを、講義、ゼミと呼称して、ごまかしてきた。卑劣ではあるが、人情である。 田中美知太郎は、宿泊名簿の職業欄に、教員と書いて、宿の主人から大学教授とお書きなさい、と窘められた云々を書いていた。痛烈な皮肉であ…