幕末から明治期にかけて、日本は積極的に西洋の科学を取り入れた。それを土台にした科学教育の成果が、今の日本人ノーベル賞受賞者数につながっているとされる。 明治政府は、特に科学者や技術者を好待遇で呼び寄せ、彼らは「お雇い外国人」と呼ばれていた。ドイツ国籍のエドムント・ナウマン(1854~1927年)も、その一人だ。当時、まだ20歳という若さで横浜の地を踏んだ。 エドムント・ナウマンは地質学者である。地質学は、地球の地層や岩石を研究する科学分野であり、その分析結果は地質図としてまとめられる。より正確な地質図は、石炭などの鉱物資源探査や土木建設計画など、多岐にわたり利用できる。国家の近代化は、これなし…