日本の劇作家。1934年、岩手県岩手郡渋民村(現・盛岡市)に生まれる。
1969年「『幼児たちの後の祭り』に至る作品の諸成果」が認められ、第14回岸田國士戯曲賞を受賞した。 その他の主な作品集に『東北の四つの季節』『しらけおばけ』などがある。 1994年には、同年4月に結団された兵庫県立ピッコロ劇団の初代代表に就任した。
2005年7月31日、脳挫傷のため死去。
最初に観た宮本研作品の上演舞台は、名作『明治の柩』ではなく、とある劇団の分裂騒ぎの引鉄になったといわくつきの『ザ・パイロット』でもなかった。演劇集団変身による代々木小劇場での上演『俳優についての逆説』で、坂本長利さんによる一人芝居だった。一人芝居というものを初めて観て衝撃を受けた。画に描いたような冒険的小劇場公演である。 題名がディドロ『逆説・俳優について』のもじりであるなんぞと気づくはずもない、だいいちフランス哲学なんぞ聴いたことも思ってみたこともない高校生だった。やや経ってから同じ代々木小劇場にて、『ザ・パイロット』が上演されたから、それも観たけれども。 後年あちこちの大劇団公演にて『明治…
人生の店仕舞の作業を怠けぬように、本を手放す記録を時おり書いてきたが、これまで芝居関連書籍に手を着けたことはなかった。他分野との相似や通底を断ち切れぬ場合があり、取捨の判断に迷う場面が頻繁に生じがちだからである。が、そう云ってばかりもいられない。 劇作家清水邦夫の名を憶えたのは『あの日たち』によってだった。炭鉱事故による一酸化炭素中毒で記憶喪失や人格障害に陥った人びとを通して、記憶とはなにか、思いやりとはなにか、人はなにを根拠として人でありうるのかを問うた、深刻ではあるが情感豊かでもある作品だった。三井三池の大事故その他が、まだ多くの日本人の記憶に鮮明な時代だった。各地の公害問題や環境汚染問題…
パンフレット(チケット半券付き)14公演 あの坂道を、もう一度歩くことは、あるのだろうか。 代々木小劇場と聴いて、あゝアレ懐かしいね、なんぞとおっしゃってくださるかたも、めっきり少なくなったのではないだろうか。演劇集団変身の常打ち小屋だった。 代々木ゼミナール本校の裏手にあたる下り坂を、突当りまで下って左折した左手。石の門柱を抜けて、個人宅の私道を飛び石伝いに入ってゆくと、木造の小劇場があった。そのお宅の離れだか倉庫だかを借り受けての、手造り劇場と聴いた憶えがある。 舞台間口およそ三間。演しものによって、舞台も客席も変形するが、平均して客席数六十からせいぜい八十の、ウルトラ小劇場だ。 一九六六…