野口整体の真髄「生命を感得する」禅の心 ①生きたものは生きたまま扱う禅 個人指導で、私が人を観るとは、「気」で観ているのです。統一体によって、気を鎮め、亢めて観るのです。 「気で観る」とは、観る人の「気」の質によっても、観える相が違ってくるものです。 言い換えると、「レンズ」の色や性能によって「スクリーン」に映る像が違うわけで、人を観る眼を養うには、長年の経験を必要とします。そして、無心に観ることを修行するという「禅の心」が肝要なのです。 鈴木大拙氏は、「禅的な方法」と「科学の客観的方法(対象化)」という真の実在に向かって進む二つの道について、次のように述べています(『禅と精神分析』禅仏教に関…