昭和、平成の時代には、記者会見を単なる発表の場としてだけでなく、自らが脚本・演出・主演するエンターテインメントの舞台として利用する名優も少なくなかった。 その代表といえるのが、97年6月21日に65歳の若さで亡くなった、勝新太郎だったのではないだろうか。 勝がノドの痛みを訴え、千葉県柏市の国立がんセンターに入院したのは、96年8月だった。 検査の結果、下咽頭ガンと診断され、抗ガン剤投与と放射線治療を受けたのち、「最後の舞台」となる記者会見を開いたのが、同年11月22日だ。 黒いスーツとワイシャツに赤いネクタイ姿。治療で体重が8キロ減り、ずいぶんスリムになった姿で会見場に現れた勝は言った。 「ガ…