眼科医、コミケットやSF大会での救護スタッフ。 一家で同人誌を作っており、アニメは全番組を録画して家族揃って観る(抜け駆け禁止)。 一家のオタク生活は『BIG ISSUE』誌51号の特集記事「女たちのサブカルチャー・コレクション」で取り上げられた。
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吉永さんに頼まれた原稿が手を離れたので一安心。ようやく昨年四天王寺秋の大古本まつりで入手した日記を調査した。300円均一の和本台から見つけたもの。冒頭の写真の左側の日録である。なお、右側のチラシは記事とは直接の関係はないが、4年前に大谷大学博物館で開催された企画展「大谷大学と宗教研究ーー清沢満之・西田幾多郎・鈴木大拙ーー」。とても良い展覧会でした。 日記は、明治28年6月12日から12月5日までのもので、真宗大学寮(大谷大学の前身)や稲葉昌丸、今川覚神らの名前が出てくることに驚き購入した。誰の日記かは、結局特定できなかった。日記の筆者は同年6月14日上洛して、大学寮の興地や岩崎を訪問している。…
碧南市藤井達吉現代美術館に清沢満之展みてきた。 中村不折(なかむらふせつ)のかいた肖像画。 清沢満之がうまれたのは1863年。まんだ江戸時代だ。なくなったのは1903年。たった40年の人生だっただ。 うまれたばしょは名古屋。尾張藩士徳永家の長男としてうまれとる。碧南西方寺の住職ってしっとっただけど、そもそもは名古屋の武士だっただ。 名古屋時代。8才で黒門町私塾に入学。10才で情妙寺の愛知県第5仮義校に入学。12才で愛知外国語大学に入学。坪内逍遥(つぼうちしょうよう)もおったっていう。神童だったとのこと。 京都時代。16才で東本願寺僧侶となって育英教校に入学。 東京時代。1881年東大予備門に入…