言葉は霊だ(・・・・・)と鶴見祐輔は喝破した。 外国語の修得は、 単語を暗記し、 文法を飲み込み、 発音をわきまえ、 言語野に回路を作れても、 それだけではまだ不十分。 いや、学校のテストで合格点を取ることだけが目的ならば、それで十分「足る」だろう。 しかしもし、実生活や仕事の上で異なる言語の使い手と、相当深いところまで立ち入った話をするのなら。互いの心臓を預け合う、極めて強固な信頼関係を結びたいなら。技術一辺倒では駄目だ、どうしても吐き出す言葉の中に、魂を宿らせる必要がある。 それには何より、その外国語で記された古典をたん(・・)と読むことだ。日本語の場合に置き換えればすぐわかる。およそこん…