関西イントネーションは抜けない。かつて日本語講師志向だった頃、イルカにもある方言なるものに傾いた。真田先生の社会言語に学んだり、そこで、くもとはしaccRadioを聞きながら。くもって雲か蜘蛛かなんて、人間以外に感心するのもいい。雲も童子なら何に見えるなんていうもいい、その生成過程に興味をもてば、いまや電脳に任せそう。橋と箸と端も関心が移る文化とか対立と反照の弁証なんて弄れてくる。物心やら幼さからの離脱は悲しい、道元的な求道やら老荘は東洋的なのかなあなんて感傷する。知らぬがほっとけですます、おおかたたいがいを解脱して遊ぶ。さて虚構の空想的思いつきの備忘録、フィリップ・グラスのレコード聴く日が在…