石見国温泉津に居屋敷を持っていた商人。居屋敷は毛利元就から給与されており、元就死後に輝元によって安堵された。その名から、長門国肥中との関係性が指摘されている。 毛利輝元による居屋敷の安堵 温泉津と長門国 参考文献 毛利輝元による居屋敷の安堵 元亀二年(1571)六月十四日、毛利元就が没する。元就死後、温泉津における権益安堵は元亀三年(1572)初頭に確認できるが*1、居屋敷一般の安堵は、元亀四年(1573)の四月から五月にかけて一斉に行われたらしい。 元亀四年(1573)四月十八日、肥中屋孫二郎も毛利輝元の袖判で「温泉津町之内」で「居屋敷壱ケ所」の安堵を受けた。書状には「任日頼証判之旨」ともあ…