正徳3年4月19日。稲荷の舎塀がまた崩れる。あちこちで度々崩れる。もっぱら出雲守様(松平義昌)逝去の噂が出回る。嘘であった。
宝永6年1月28日。昼、昨年崩れた文左衛門の西の舎塀が、又北へ2間(1間は約1,8メートル)ばかり崩れる。
元禄16年3月23日。文左衛門は西境の舎塀を築かせる。8間(1間は約1、8メートル)近くなり、1間あたり100文。