元禄16年6月1日。辰半(午前8時)、文左衛門は源右・久右と忠兵・平八と船に乗って三つ股(河口)のあたりまで出て興ずる。善介・勘右衛門は網を打つ。夕暮れに帰る。
元禄13年7月11日。近頃、下条庄右衛門御用人一色伝右衛門が家老に呼ばれ、町奉行を(欠字)。公の家老に呼ばれ、簡略も今年限りなのでますます慎むように。その他には志村忠左衛門らも呼ばれていた。近頃世間では遊興に溺れ、船遊びなどして騒いでいると聞こえてくると。
元禄5年8月12日。晴。この日、佐分源太左衛門は同じ寄人を誘い、伊勢の海に船を浮かべる。船は漂い、風が帆をはらみ、空には雲が浮かぶ皆で酒を酌み交わし、三味線にあわせて歌を唄う。(中略)家に帰ると子五刻(午前0時前)であった。中野紋三郎・田村弥四郎・同新八・三宅九郎三郎・大田紋之助・同円之助・石川新蔵・長崎藤助・山口善六・石川雲平・都筑理右衛門・阿部伝九郎・相原藤蔵・山崎新三郎・文左衛門と共に15人であった。
元禄5年6月21日。文左衛門は近くの友人10人と船遊びを楽しむ。未下刻(午後3時)には少し細かい雨が降ったので船中では幕を張った。