牡丹蕊(しべ)深く分け出づる蜂の名残哉 芭蕉。牡丹の荒らされた惨状とその花の「誘惑」に溺れ花粉まみれになった蜂の「慾」の毒々しさ、ふてぶてしさが「深く分け出づる」なのであろう。蜂はいままだ荒々しい息をしている。恐らくこの芭蕉の句を念頭に、永田耕衣は次の句を詠んだ。牡丹花に虻が生きたるまま暮るる。虻は牡丹の至福の心地良さにどっぷり浸り時を忘れ、我を忘れ、生きること、生きていることすら忘れてしまっているようだ。耕衣の「生きたるまま暮るる」は芭蕉の「深く分け出づる」に対する言葉であり、鋭く見た芭蕉のいい表わしより冷徹な眼差しで二、三歩高みに進んだ「文学的」表現である。この「文学的」という意味は、たと…