今回はかなりグダグダかつ推測だらけの記事となったが、臆せず公開してしまおう。 前回は侍中の記事だったが魏公国が発足し、侍中が置かれる前は軍師祭酒がおもに「曹操の相談相手」だったろう。 司空軍師祭酒は198年1月に置かれたようでおそらく郭嘉はその発足時からのメンバーである。初期には侯聲(侯声)なる人物もおり、屯田制についての議論が残っているのでその取り扱う内容は軍事に留まらない。 軍師祭酒で一番気になるところは表記の統一感のなさで軍祭酒、軍謀祭酒、祭酒などとも書かれる。これは晋の司馬師の名を避諱するため、色々と書き換えられたから、らしい。※この辺り、あまり踏み込まないでおく 司空時代に軍師祭酒に…