兼六園。 藩主が出入りした「蓮池(れんち)御門」には 松平定信揮毫の扁額が掲げられていました。 ここが当時のいわば正門だったのですね。 正門というよりは藩主しか通れない門、 でしょうか。 そして随身達は随身坂口から。 あ、でも随身は「貴族の外出時に警護のため 追従」とあるので、藩主の場合は警護の人は 随身とは言わないのかな^^; 深掘りが止まりません。