JRA調教師。美浦トレーニングセンター所属。 1951年9月22日生まれ。美浦菊池一雄厩舎を経て野平祐二厩舎でシンボリルドルフなどの調教助手を務めた。1987年に調教師免許を取得。1993年シンコウラブリイでGI初制覇。1998年タイキシャトルで仏GIジャックルマロワ賞を制覇。最多勝利調教師賞10回。2009年に1000勝達成。
皆さん、こんにちは! ウサピリカです。 10月28日(土)は、北海道新ひだか町の「うまかるフェス」へ行ってきました。 今年3月に引退したばかりの競走馬ユーバーレーベンや藤沢元調教師、角居元調教師、馬のイラストでお馴染みのおがわじゅりさんがやって来るということで、この日を首を長くして待っていました。 うまかるフェスとは ユーバーレーベン おがわじゅりさんのお絵かき教室&サイン会 お絵かき教室 サイン会 装蹄師のデモンストレーション 流鏑馬 チャリティーオークション スペシャルトークショー 最後に 場所 うまかるフェスとは 「HORSE CULTURE FESTIVAL(ホース・カルチャー・フェス…
tospo-keiba.jp tospo-keiba.jp 2月28日で定年による引退する調教師が管理する競走馬が多数出走しました。藤沢和雄 調教師は2勝し、通算勝利数を1570としました。また高橋祥泰調教師所属のカラテが 中山記念で2着に入りました。 多くの名馬を調教してきた名伯楽が引退するのは惜しいですが、競馬界にもたらした 貢献は多大なものがあります。その思いを引き継ぐ調教師も決まっており、藤沢調教師 が管理する馬の多くが蛯名正義調教師が管理することになります。そしてカラテは栗東 の辻野泰之調教師が管理することになりました。定年を機に転厩するのは珍しいです が、力は衰えていないだけに今後…
www.youtube.com 藤沢和雄調教師が管理していた馬では3頭目の引退式でした。開始が少し遅れましたが 無事終了し、ノーザンファームに帰ります。初年度はエピファネイアと交配する話が 出ています。産駒が母を超える成績を残すことができるのか、3年半後が楽しみです。
上手いっ!というか、狡猾!老獪!いや、もっと言えば……姑息……! これぞ“真のトップジョッキー”たる、福永 祐一騎手の“ダービーの勝ち方を知った”騎乗に魅せられた激闘から早一週間。2歳馬という“新入生”がデビューし、新年度とも言うべき季節を向かえた今週はもちろん、東京5週連続GIの掉尾を飾る安田記念の予想をしてまいります。 ずばり、テーマは“決め”です。 断然の存在、ゆえに“普通”に走れば すでにお分かりの通り、今年の安田記念は古馬マイルGI完全制覇のGⅠ5勝馬、グランアレグリアが断然の存在として、それこそ君臨しています。 しかし、これも世間で言われている通り、キャリア最短となる中2週のローテ…
www.jra.go.jp 今年初戦の大阪杯が4着だったグランアレグリアでしたが、ヴィクトリアマイルでは 2着のランブリングアレーを4馬身突き放し、GI5勝目を飾りました。直線では クリストフ・ルメール騎手が余裕をもって追い出し、マイル適性の高さを感じました。 次走をどこにするのか、古馬マイルGI完全制覇を果たしただけに、藤沢和雄調教師の 判断が気になります。
競馬本の紹介、第8回は藤沢和雄調教師の「G1の勝ち方 サラブレッド金言108」です。 ■著者はあの藤沢調教師 著者は皆さんご存じ、最近ではソウルスターリング、レイデオロ、タワーオブロンドンなど数多くのG1馬を輩出した名門厩舎の調教師です。 G1初勝利は1993年マイルCSのシンコウラブリィ。 それ以降は毎年のようにG1を勝ちまくります。 バブルガムフェロー、タイキブリザード、タイキシャトル、スティンガー、シンボリインディ、ゼンノエルシド、シンボリクリスエス、ゼンノロブロイ、ダンスインザムード、スピルバーグ、ソウルスターリング・・・。 1995年から2009年までの間、11度のJRA賞最多勝利…
「2020年度JRA賞」決定!年度代表馬はアーモンドアイ! JRA 2020年度JRA賞競走馬部門 記者投票集計結果 JRA https://www.jra.go.jp/news/202101/pdf/010602_01.pdf JRAの年度代表馬にアーモンドアイが選ばれました。283票のうち236票獲得したのです から文句なしのレベルです。やはりジャパンカップでコントレイルとデアリングタクト を下したのが決め手となりました。 そして、春秋グランプリ連覇のクロノジェネシスと1500勝を達成した藤沢和雄調教師に 特別賞が授与されることになりました。どちらも競馬史に残る偉業を達成したのです からこ…
阪神ジュベナイルフィリーズでは無く私の青春の中でのレース回顧となりますが 気が向けば読んでみてください 今年76回を迎える阪神ジュベナイルフィリーズ 阪神3歳S(混合戦)→阪神3歳牝馬S(牝馬)→阪神ジュベナイルF(牝馬)と 変遷のある同レースで私はだいたい第42回(1990年)からの馬券購入しています (当時はネット・電話投票出来なかったので全てのレースの購入は出来ていません) その中で記憶の中で鮮明に残っている🎯当たったレースが2回あります 第50回優勝馬スティンガーと第55回優勝馬ヤマニンシュクルでそれ以降、約20年間あまり 悔しいですがこのレース🎯当たった!って心に残ったレース記憶が無…
明日の東京10Rは3勝クラスのノベンバーSが行われる。その2013年の勝ち馬はスピルバーグ。それから1年後の天皇賞・秋でジェンティルドンナを下して古馬中距離戦線の頂点に立った。 2012年 プリンシパルS スピルバーグ 内田博幸 ほかにも、歴代の優勝馬にはシンコウキングやショウワモダンといったのちのGⅠホースが名を連ねている。それだけではない。アイリッシュダンス、ショウナンハピネス、ハッピーパスといった牝馬の勝ち馬は、自身がGⅠを勝つことはなくとも、のちにその牝系からGⅠホースを送り出した。ハーツクライ、ショウナンナデシコ、そして先日の秋華賞を勝ったチェルヴィニアである。今年の出走馬の中に将来…
ようやく秋の気配が深まり、菊花賞への気持ちも高まってきたこのタイミングで2004年の菊花賞馬デルタブルースの訃報が伝えられた。引退馬受け入れ施設「オールド・フレンズ・ジャパン」にてこの8日に亡くなったという。23歳。重賞3勝をすべて3000m以上で挙げた生粋のステイヤーは、日本馬として初めて豪州メルボルンカップを勝利したフロンティアでもある。日本の馬が3000m以上の海外GⅠを勝った例は後にも先にもこの一度きり。そういう意味では我が国を代表し得るステイヤーと言って良い。 2004年5月28日 500万下 デルタブルース 安藤勝己 かつて一時代を築いた角居勝彦厩舎にとって、デルタブルースの菊花賞…
当日の会場イベント見ると、教官とはいっても騎手課程の教官で、厩務員課程担当の教官は居ないかな……? と思ったりもしている。と書くと武士澤教官(※厩務員課程担当)を目当てに模擬レース限定公開応募したように聞こえちゃうかも。 2024/08/27 徒然 - パンだ すみませんそういうやましい気持ちを抱えて応募し、そして有り難くも当選したので行ってきました競馬学校の騎手課程41期生模擬レースを観に千葉県は白井市に! 今回はシャトルバスが出るということで鎌ヶ谷大仏駅ではなく北総線の西白井駅へ。シャトルバス、神。 "梨も騎手も育つ街"、良い 鎌ヶ谷大仏駅でのあの絶望は何だったのか 競馬学校に着いたら限定…
2001年、02年の関屋記念を連覇するなど重賞4勝の快速馬マグナーテンの訃報が報じられた。28歳なら長生きの部類であろう。05年1月に現役を退いてからは、札幌市郊外のモモセライディングファームで乗用馬として活躍していた。重賞4勝や獲得賞金4億5299万5000円はセン馬における当時の最多記録。2002年のNSTオープンでマークした1分19秒0の勝ち時計は、20年以上経った今も破られぬ新潟芝1400mのコースレコードだ。 2002年 関屋記念 マグナーテン 岡部幸雄 もともと好きな一頭ではあった。とにかく逃げ馬を応援したくなるタチなのである。しかもこの夏は、諸般の事情からマグナーテンについて色々…
タイキシャトルは、日本競馬界において最も輝かしい成績を残したマイラーの一頭です。その物語を詳しくご紹介します。 幼少期とデビュータイキシャトルは1994年3月23日にアメリカで生まれました。父はDevil’s Bag、母はウェルシュマフィンという血統です。幼少期はアイルランドの育成牧場で過ごし、2歳の夏に日本に輸入されました。美浦の藤沢和雄厩舎に入厩しましたが、脚元や蹄の弱さから調整が遅れ、デビューは3歳の4月となりました。 3歳時の活躍デビュー戦はダート1600mで行われ、4馬身差で楽勝。その後もダートで連勝し、芝のレースでもそのスピードを発揮しました。3戦目の芝1600mの菖蒲ステークスで…
おにじと申します。 速報です。 いつもの、ウマ娘新人情報です。 やっぱ3.5周年前にキャラは出しすぎた気はします。今回はそんなにおりません。 ウマ娘でバブルガムフェローの実装を発表、サムソンビッグの声優決定。 バブルガムフェロー/ CV:神谷早矢佳(アトミックモンキー) サムソンビッグの声優は根本京里
[京王杯スプリングカップ(G2)] 昔々、タイキブリザードという馬がいまして、実力のある馬でしたが 如何せん僅差で負けの多い馬でした。有馬記念もマヤノトップガンの 2着という成績を残してました。所属は、藤沢和雄厩舎。 シアトルスルー産駒の〇外馬。父に似て雄大な馬格でした。 でも、ここでこのレースで覚醒をしまして、京王杯SCをレコードで 勝利した後に臨んだ安田記念。直線では名手・岡部幸雄騎手の鞭に 応えて、先行粘り込む皐月賞馬のジェニュインを僅差交わしてのゴール となりました。一番思い出に残る京王杯スプリングカップでしたね。 難しいメンバー構成ですね。千四という基幹距離ではないので、それに 特化…
競馬 オリビエ・ペリエ騎手引退 武豊騎手のコメント 柴田善臣騎手のコメント 元調教師の藤沢和雄先生のコメント 羽田盃(大井競馬場) 地方勢最先着フロインフォッサル 決裁 売上とか 競馬 オリビエ・ペリエ騎手引退 短期免許で来る外国出身の騎手としては凄かったなと記憶してます。 凱旋門賞を通算4勝してるのも凄いし、日本を見たら有馬記念三連覇とか凄い事をやってたりしてます。 未だに中山競馬場の地下道を通るとその偉業を思い出します(優勝馬パネルが飾ってあるからね。)。【海外競馬】日本の競馬ファンの皆様にもお馴染みの🇫🇷#オリビエ・ペリエ 騎手が、4/25(木)の騎乗をもって現役を引退することが発表され…
1983年に重賞に格上げされたニュージーランドトロフィーは、今年が数えて42回目。 今でこそNHKマイルカップの前哨戦という位置付けだが、NHKマイルC創設前は、12ハロンは明らかに不向きのスプリンターと、12ハロンでもイケるはずなのにクラシックに出られない外国産馬やクラシック未登録馬が激突するという稀有な舞台だった。手綱を持ったまま後続を7馬身千切ったオグリキャップのレースぶりは、今となっては伝説のように語り継がれている。 「ミホノブルボンより強い」と言われた外国産馬ヒシマサルと、のちにマイルCSを勝つシンコウラブリイ、そして韋駄天サクラバクシンオーの「3強対決」でGⅠレース並みの盛り上がり…
競馬の世界のカレンダーで「別れの季節」といえば2月最終週だし、「新たな出会いの季節」といえば3月1週目、というのが昔からの定番・・・だったはずなのだが、今年はどういうわけか、恒例の3月1週目の新人騎手デビュー週に定年を迎えた調教師の引退が重なる、という珍しい交差が生まれた。自分くらいの世代になってくると、毎年デビューする10代の新人騎手たちは、一括りの「若者」に過ぎない。 もちろん、年末くらいになるとそれぞれの個性も見えてくるし、「推し」の対象になるような騎手も出てくるのではあるが、デビューしたての頃は名前を聞いてもただの文字列。一方、引退する調教師の方は、一人ひとりのお名前にその時々の記憶が…
こんばんは。会員番号26511です。 ========================= レッドルゼル 牡8歳 安田隆行厩舎 27戦9勝[9-8-3-7] 前走:2/18 フェブラリーS 6着 引退 イーストスタッドにて種牡馬入り 2/18 セキフウに…伸び負けた…同じ位置からセキフウに… 2/18 「まずは脚元などに異常がないかよく観察し、次の厩舎に引き継ぎたいと思います」 現役続けそうですね。安田景一朗さんが安田翔伍厩舎に移るらしいから安田翔伍厩舎なのかな。 2/21 「右前脚の種子骨靭帯周辺の腱鞘が炎症を起こしていることが判明したところです。獣医師によると『レントゲン画像では一部腱が石灰…
漫画 タワーダンジョン ゲーム new3D、2DSなどの修理終了予定の告知 野球どアホウ未亡人 ミニライブの記事 生き物 ホースメッセの動画 藤沢和雄先生(元調教師) 角居勝彦先生(元調教師) 漫画 タワーダンジョン 弐瓶勉先生のファンタジーモノは合うな。タワーダンジョン(1) (シリウスコミックス)作者:弐瓶勉講談社Amazon ゲーム new3D、2DSなどの修理終了予定の告知 「ニンテンドー2DS本体、Newニンテンドー3DS本体およびNewニンテンドー3DS LL本体の修理終了予定に関するお知らせ」を掲載しました。 https://t.co/oT7KCGC6d7 pic.twitter…
ランキング参加中一口馬主 ※各募集馬の価格など、プロフィール情報は割愛します。 クラブのサイトやカタログなどをご参照下さい(^^ 評価は ◎出資したい! ○おススメ! ▲要検討 △様子見 ×検討対象外 の5段階とします。 ◇ マダムストーリーの22 血統面:△ 父であるダービー馬のレイデオロは、 キンカメ×シンボリクリスエス×ディープインパクトと同じウインドインハーヘア牝 系という良血馬。 関東の名門藤沢和雄厩舎に、 最初で最後となったダービーの栄冠をもたらした馬で、 その後母父であり厩舎の大先輩でもあるシンボリクリスエスと同じく、 天皇賞秋も制覇しました。 産駒は今年の2歳世代が初年度であり…
明日はいよいよ中央競馬の総決算といえるドリームレース「第68回有馬記念・中山競馬場芝2500メートル」が行われます。 このレースは1956年にファン投票で出場選手を選出するという「プロ野球のオールスターゲーム」にヒントを得て、当時の日本中央競馬会理事長である有馬頼寧氏がファン投票による出走馬を選出して、中山競馬場の芝2600メートルで競わせる重賞競走を設立することを決め、1956年末の12月に「第1回・中山グランプリ」を開催し、蛯名武五郎騎手騎乗のメイヂヒカリが勝利して、栄えある第1回中山グランプリはレース的にも成功に終わりました。 しかしその興奮が冷めやらぬ17日後の1957年1月9日に有馬…