漱石はこの作品執筆中、胃潰瘍のために一時期中断しなければならなかった。「いつ死ぬかわからぬ」という苦しみに耐えた作者の体験は、不安、絶望、孤独といった形で、深刻さを与えた。「友達」「兄」「帰ってから」「塵労」の四編からなるが、全体の主人公は長野一郎という学者であり、その弟二郎が一貫した観察者として登場する。 神経がするどく、潔癖な知識人が、そのために不幸に陥ることが描かれたこの作品は、人生の生き方を考えさせる力を持っている。
行人 (新潮文庫)
漱石後期3部作の一つで、主人公である次郎、の兄一郎の苦悩のお話である。 あらすじは省略する。 ・漱石の主題 物語後半の主題は明らかだと思う。 両親が属する江戸時代からの価値観が当たり前だった時代に、西洋からの新しい考え方、科学が流入してきた。知識階級に属していた一郎は、新しい知識の一つ一つを自分の頭で考え、突き詰めて、今までの考えと折り合いをつけていった。結果周囲とは異なった独自の価値観を持つにいたる。それが孤独感をもたらし、生きるのが苦しく感じてしまう。かといって自立した人格を求める一郎は妥協することが出来ない。 つまり自分の頭で考え、かつ自立することの難しさを表現していると思う。考え、自立…
漱石に「行人」という小説がある。心に残るのは、その主人公のお兄さん。 自分が今、あのお兄さんと同じような情況だから(もちろん心的に)、残るというより「いる」、自分自身があのお兄さんに投影されている。 漱石の描く世界。「吾輩…」の猫の最期は何度読んでも凄い描写だし、漱石のみつめていた虚無、人生観のようなものが、猫を介して明らさまに・緻密に描かれていたと思う。 まったく、何度読んでもグッときて、恥ずかしいが涙ぐんでしまう。「こころ」にもやられた。 漱石の世界を思う時、時間が止まる感覚がある。その瞬間、瞬間瞬間が、枠に入って固定化する。その中に自分も入り込み、静止してしまう。 漱石に吸い込まれ、非・…
漱石に「行人」という小説がある。心に残るのは、その主人公のお兄さん。 自分が今、あのお兄さんと同じような情況だから(もちろん心的に)、残るというより「いる」、自分自身があのお兄さんに投影されている。 漱石の描く世界。「吾輩…」の猫の最期は何度読んでも凄い描写だし、漱石のみつめていた虚無、人生観のようなものが、猫を介して明らさまに・緻密に描かれていたと思う。 まったく、何度読んでもグッときて、恥ずかしいが涙ぐんでしまう。 「こころ」にもやられた。 漱石の世界を思う時、時間が止まる感覚がある。その瞬間、瞬間瞬間が、枠に入って固定化する。その中に自分も入り込み、静止してしまう。 漱石に吸い込まれ、非…
覚鑁派の本流であった大伝法院が高野山から退去し、根来の地に合流したことによって、ようやく本格的な根来寺の興隆がはじまった。軌を一にして、大伝法院伽藍群の建設が本格的にスタートする。金堂大伝法院・鐘楼堂・大塔・阿弥陀仏堂・不動堂など全ての堂塔群の完成を見るのは、それから実に300年後のことになるのだが。 根来がここまで大きくなれたのは、何といっても先の記事で紹介した、頼瑜の功績が大きい。彼によって構築されたテキスト群が全国に広がったことにより、地方の真言学侶僧が最先端の根来教学を学びに、来山するようになったのだ。このテキストは特に東国において普及したようで、多くの僧が関東以北から訪れている。 最…
このブログのタイトルの「行人日記」と私のハンドルのwayfarerは、夏目漱石の後期三部作の2作目、「行人」(英訳のタイトルが「The Wayfarer」)から取っています。 夏目漱石の前期三部作(「三四郎」「それから」「門」)が、現実の出来事に対する葛藤が描かれているのに対し、後期三部作(「彼岸過迄」「行人」「こころ」)は、他人からは見えづらい内面の苦悩を抱えた人物が描かれています。 特に「行人」は、気難しく家族からも疎まれている知識人の主人公が、心を許せる相手が全く無い中で人間不信に陥り、追い詰められて精神状態が破綻寸前になって終わる・・そんな話です。後期三部作の中では、最も凄絶な苦悩が描…
行人 (新潮文庫) 作者:漱石, 夏目 新潮社 Amazon 「兄さんに対して僕がこんな事をいうと甚(はなは)だ失礼かもしれませんがね。他(ひと)の心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だから固(もと)より其処に気が付いていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟だって、心と心は只(ただ)通じているような気持がするだけで、実際に向う此方とは身体が離れている通り心も離れているんだから仕様がないじゃありませんか」 「他(ひと)の心は外から研究は出来る。けれどもその心に為(な)って見る事は出来ない。その位の事なら己だ…
Traveler. トラベラー
思想が完成してしまうと、現実の世界には無限の孤独が待っているのだと思う。