宝永3年12月8日。行赦が2人ある。夜、常明寺墓所で竹腰民部賄人が自殺する。ここは旦那寺だと。借金が原因と云々。神谷八郎左衛門が先月30日に婚礼を行った妻を離別する。先だって仲人森十郎兵衛・市村伝兵衛が平太夫のところへ出かけ、離縁のことを話していた。すると駕物が来たが平太夫は台所へもあげずに追い返し、こちらから迎えをやって呼び戻す、かつ仲人には娘に落度はないとの手形を出すようにと云々。十郎兵衛は急いで八郎左衛門のところへ出かけた。そうこうするうちに平太夫の召仕がやって来て、娘を連れ帰った。平太夫の子両人も途中まで迎えに出た。平太夫が言うには、皆から手形が取れないのであればこちらから出向いて取る…