餓鬼道に落ちた亡者にたいして、食べ物をそなえお経を唱え法要を行う。
たいていお盆に付会して行う、仏教の教義と日本の民俗風習の合体したもので、各寺院で行われる。 浄土真宗を除いて仏教の各宗派でおこなわれる。
川施餓鬼
天保8年。一 3月29日明け方、御園町下長坂伝六郎屋敷で放火がある。長屋北の端の屋根裏が燃え上がり、柱、高塀も半分ほど焦げる。火の見は鐘を打たず、知れないようにする。ただし、不注意からの出火には見せかける。一 飢えての行き倒れがとても多く、3月18日には府下万松寺において無縁のための大施餓鬼が行われる。一 3月15日夜、清水町川口屋又兵衛の妻には密夫がいた。妻がこの密夫と駆け落ちした後、亭主が自害すると。一 4月1日夜、駿河町の菊屋という油屋の家を打ち壊す。油屋は日ごろから憎まれており、少しも施しを行わないのでこの如くと。一 この春の末からの飢饉で疫病が大流行する。このためいろいろなまじないが…
文政8年。米札5匁と3匁を11月15日から17日まで引き替える。12月、度々雪が降る。米の値段が高く、知行所の村々ではひけ(上前をはねること)が多い。屋敷では難渋し、町家は困窮する。同22日、古渡稲荷が正遷宮が行われ、8月からの造営が終わって今夜仮殿から本社へ移徒する。東懸所が西へ広がり、北へも広くなる。(60頁から続く)始めると。丑年(文政12)になると本調子に三下り(三味線の三の糸を2度下げること)を連弾し、賑やかに騒ぐ。8月下旬、尾州で稲星が現れる。去年壬8月から番を付けていた輩は次の通り。400石 寄合組 平岩鎌之丞、250石 同 津金勘三郎、200石 同 渡辺左織、200石 同 田辺…
「施餓鬼」(せがき)とは、 「お盆」の時期に、先祖供養とともに 行われることの多い仏教行事のひとつです。 「施餓鬼」(せがき)とは 水の子 施餓鬼の由来 施餓鬼の行われる時期 「施餓鬼」(せがき)とは 「施餓鬼」は、「施餓鬼会」 (せがきえ) の略称で、 先祖供養を兼ねて行われている仏教行事です。 「施餓鬼」の「餓鬼」(がき)とは、 供養をされずこの世を彷徨っている無縁仏や 生前の欲深さの為に 死後に「餓鬼道」(がきどう) に堕ちた 霊や魂のことを言い、 この「餓鬼」(がき) 達は、常に、飢えと渇きに 苦しめられると言われています。 「施餓鬼」とは、「施餓鬼供養」として 「餓鬼」達にも 水や食…
享保1年12月8日。政秀寺で法事が始まる。僧は30人。御馳走奉行は石川内蔵亟・成瀬内膳・箕形善左が勤める。御先手は五味市右衛門・左右田与平が勤める。名代は縫殿殿が勤める。辰刻(午前7時)に施餓鬼が始まる。金剛経、点心(軽食)、垂未(示か?)、行導、未刻(午後1時)に非時(午後の食事)、斎食は卯刻(午前5時)。年寄衆以下には食事はなし。ただし、寒いからと寺から好意で吸物に酒が出る。
やれやれ、どうにかこうにかまた一年、という感じ。 毎年この時期は、頭が曇る。人びとも出来事も、磨硝子の向うでうごめいているように感じる。四十二歳にして患った脳梗塞の後遺症だ。歳月をかけてほとんどの後遺症は消えたが、これだけが残った。三十年以上も経つのに、気温湿度の急変に見舞われるこの時期と、十月下旬から十一月初頭にかけて、年に二回は脳の対応力不足に襲われる。 加えて六月は私にとって、年間最大の出費月である。 昨夜はコンビニで、月づきの公共料金と併せて、固定資産税を振込んだ。わが暮しにあっては年間最高額の「支払い」である。 親から相続した敷地の固定資産税なんぞと、けっこうなご身分ではないかと誤解…
正徳5年10月12日。真巌院様(徳川五郎太)の法事が始まる。御馳走奉行は五味平馬・服部仁左衛門・星野七右衛門が勤める。惣門は荒川武兵衛・藤田左門が勤める。三門は遠山所左衛門・武野治兵衛が勤める。裏門は牧野甚左衛門が勤める。名代は隼人正が勤める。瑞祥院様(徳川吉通正室)から入仏事・頓写が行われる。13日は本寿院(徳川吉通生母)から同様。14日、安房守(松平通温)様から入仏事と施餓鬼が行われる。近頃、女御の入内のため京への使者は酒井左衛門佐、高家へは中条対馬守が仰せ付けられる。名古屋でも玉置市正が仰せ付けられたところ、女御の実母が9月10日に亡くなられたので入内が延期され、市正などの上京も延期され…
南無阿弥陀佛みなさんこんにちは(^O^)5月に入り、今年も 「施餓鬼会シーズン」に 突入しました🙏都内やその周辺の浄土宗のお寺さまでは 5月6月に、多く施餓鬼会が勤められています 私も、あちらこちらのお寺さまに お手伝いにお邪魔しています。 これからお盆をはさんで 8月後半まで、施餓鬼会が ポツポツと続きます🙏 施餓鬼会の由来を尋ねますと お釈迦さまの弟子のお一人 「阿難さま」が、 お弟子入りして間もない頃のある夜、 一人静かに瞑想をしていると 突如、目の前に恐ろしい姿の餓鬼が現れ、 餓鬼(ネットから拝借しました) 「汝の命は、残り3日、 3日後に命尽きて、餓鬼道に墜ち 飢え苦しむことになるで…
正徳5年7月23日。法事は中日で名代を駿河守(大道寺)が勤める。入仏事の方々を記す。21日は本寿院様(徳川吉通生母)・泉光院様(徳川継友生母)。22日は出雲守様(松平義方)。23日は安房守様(松平通温)から。同24日は日向守様(松平義孝)から。25日は但馬守(松平友著)・求馬様(徳川宗春)からで何れも施餓鬼。惣門は森本孫助・幡野弥太夫が勤める。山門は大嶋半兵衛・五味市右衛門が勤める。裏門は蜷川伴右衛門・兼松善蔵が勤める。
正徳5年5月28日。泰心院公(徳川綱誠)の十七回忌の法事が始まる。名代は狩衣で駿河守(大道寺)が勤める。朝、梅昌院様(徳川綱誠側室)が詣でる。点心(昼食)で帰られる。入仏事が行われ、瑞祥院(徳川吉通正室)から頓写が行われる。本寿院様(徳川吉通生母)から施餓鬼が行われる。29日には泉光院様(徳川継友生母)から。6月1日には摂州様(松平義行)から。2日は雲州様(松平義方)・安房守様(松平通温)から。3日は但馬守様(松平友著)・求馬様(徳川宗春)から。4日、梅昌院(徳川綱誠側室)から。
正徳4年7月21日。兵庫は江戸へ出発する。本寿院様から入仏事・施餓鬼が行われる。今朝明け方の寅半(午前4時)、檀歴が建中寺に入る。水が出たための逗留であった。6日に江戸へ出発していた。江戸へ出発した時は御先手安藤甚左衛門が品川まで送り届けた。道中は足軽5人が附き従った。当地では大塩岡右衛門が熱田まで迎えに出向いた。かや(萱屋)町観音院呑応は貞松院様のひろい子だと云々。門前の町屋に滝川又左衛門悉皆人天野八郎右衛門の妻が住んでいた。呑応はこれと関係を持ち、子どもが生まれた。内密にねだって金を取り、弟子坊主とした。13の時に江戸へ逃げ出し、学問をおさめた。これが檀歴であった。母は存命でかや(萱屋)町…