布教の過程で各地に門徒勢力が生まれ、分派独立していった浄土真宗ですが、本願寺派の成立から石山合戦までを前編で解説いたしました。後半はいよいよ東西分派についてのお話です。 京都へ戻る 顕如派 VS 教如派 東西分派 西本願寺と興正寺 お東騒動 親鸞はいかに 京都へ戻る 天下人となった豊臣秀吉は、信長が本願寺に手をこまねいて天下統一を逃したことから、本願寺を敵に回さず支援することで味方にしようという方針を取ります。一方顕如から義絶された教如も、信長没後すぐに義絶を取り消されます。しかし、本寺を明け渡すという究極の選択で袂を分かつ経験は、両陣営に深く遺恨として残ってしまいました。本願寺派は天正11年…