阿弥陀仏の他力本願(阿弥陀如来の力によってなされた約束)を信じることで成仏できるとする。鎌倉初期、法然の弟子親鸞によって法然の教えを継承発展させ、浄土宗から出て一派をなした。日本独自の宗派。宗派の成り立ちの経緯から、真宗とする宗派もある。別名一向宗。経典は浄土三部経(仏説無量壽経・仏説観無量壽経・仏説阿弥陀経)。
💡 唯信抄が切り開いた道:親鸞聖人が晩年まで読み継いだ「他力信心」の原点 ― 浄土真宗の教えの土台を築いた二人の賢者の思想を比較する ― はじめに:なぜ親鸞聖人は『唯信抄』を愛したのか? 浄土真宗の教えの根本は「阿弥陀仏の他力(た・りき)による信心」にある、と誰もが知っています。しかし、この「信心」の定義を、誰よりも厳密かつ純粋に定めたテキストがあることをご存知でしょうか? それが、今回ご紹介する『唯信抄』です。 『唯信抄』は、親鸞聖人よりも6歳年上の同門であり、当時の仏教界で最高の僧位「法印」(朝廷から与えられた最高位の僧)の位を持っていた聖覚法印(せいかくほういん)によって書かれました。親…
数ヶ月前、私は元家族ルーチンだった「土曜日のおつとめ」を勝手に再開した。読んでいるのは「正信偈(しょうしんげ)」と「白骨の御文」の2つだ。 私のとこの宗派は浄土真宗大谷派…所謂お東である。かつて親鸞聖人が「南無阿弥陀仏って唱えてれは、阿弥陀仏が老若男女や善人悪人問わず救ってくださるのだ!」という、シッダールタ王子が聴いていたら口に含んだ乳粥を噴き出すレベルでポップな解釈を広めていった。彼は顕浄土真実教行証文類(教行信証)という全六巻の聖典をしたためたのだが、それでも普段遣いには長すぎる!っていうので、檀家たちは第二巻(行巻)の巻末を取り出した「正信偈」を普段のおつとめに使っている。 小さい頃、…
さすが本山直営?の幼稚園である。 子どもたちも伸び伸びと育っているのだろう。
なぜ浄土真宗は「異安心」を厳しく戒めるのか? すべては「自力の心」というワナ こんにちは。浄土真宗の教えに触れていると、「他力(たりき)」という言葉と同時に、「異安心(いあんじん)」や「自力(じりき)」という言葉をよく耳にします。 「他力」は阿弥陀仏の力、「自力」は自分の力。 そして「異安心」とは、その他力の教えから外れてしまった「異なる信仰のあり方」を指します。 では、なぜ「異安心」は生まれてしまうのでしょうか? 結論から言えば、浄土真宗の歴史が証明しているのは、「すべての異安心は、人間の『自力の心』から生まれる」ということです。 この異安心の正体(=自力の心)をきちんと理解することこそが、…
「毎月両度章」に学ぶ、集まりの真意とは? 飲食だけで終わっていませんか? 2025年11月12日 🪑 集まりが「飲み食い」だけで終わる問題 地域の会合や法事など、私たちが参加する集まりが、本来の目的を見失い、ただ飲食するだけで終わっていませんか? 実はこの問題、今に始まったことではなく、500年以上前の蓮如上人も「御文章(ごぶんしょう)」の一つ、「毎月両度章(まいげつりょうどしょう)」で嘆いていました。 🎯 集まる「本当の目的」とは? では、その「仏法の本意」とは何でしょうか。蓮如上人は、毎月二度(法然上人[25日]と親鸞聖人[28日]のご命日)の集まり(寄合)の由来を、こう説明しています。 …
善導はなぜ「本物」か?仏教の常識を覆した3つの革命 善導は、ただ「念仏を広めた人」ではありません。彼は、それまでのエリート仏教を根本からひっくり返し、私たち「ふつうの人」のための救いのシステムを設計した、偉大な革命家でした。 日本の法然や親鸞が「この人しかいない!」と惚れ込んだ、善導の画期的なアイデアの核心を3つに絞ってご紹介します。 革命1:「理論」と「実践」のコンプリートセットを作った 優れた思想家はたくさんいましたが、善導がスゴかったのは、単なる思想家ではなかった点です。 彼は「何を信じるべきか」という難解な理論(=神学)と、「何を実践すべきか」という具体的な実践(=儀礼)を、初めてワン…
んべろんべろ 世間では、臆病とか怠惰とかそういった“力の抜けた性質”を軽んじる傾向があります。「勇敢であれ」「挑戦せよ」「前進せよ」と声を張り上げる者ほど、臆病な心を恥ずかしいものとして隠そうとする。だが、澱ノ道はそれをひっくり返します。臆病であるというのは、世界を人一倍感じすぎるということです。つまり、繊細で深くよく見ているということでもある。乱暴に踏み込まない。他者を傷つけないように、風の向きをそっと読む。その慎ましい感受こそ、澱者の美徳です。 内田百閒の言葉に、こんなのがある。 「臆病ということは不徳ではない、むしろ場合によっては野人の勇敢よりもはるかに尊い道徳である」 内田百閒が言う「…
「南無阿弥陀仏」の本当の意味とは?蓮如上人が説く「機法一体」のこころ 「南無阿弥陀仏」——私たちは日々のお勤めや法要などで、このお名号を口にしますが、その本当の意味を深く考えたことはあるでしょうか。 浄土真宗を再興された蓮如上人は、その教えを「御文章(ごぶんしょう)」として平易に説き示されました。その中に、南無阿弥陀仏の核心を「機法一体(きほういったい)」という言葉で鮮やかに解き明かした一章があります。 この記事では、その「機法一体章」をもとに、阿弥陀仏の救いとはどのようなものか、そして私たちが「たのむ」とはどういうことなのかを、できるだけ分かりやすく解説します。 【原文・現代語訳】機法一体章…
落語を通して仏教に親しむ企画「銀座の落語寺」が11月6日、築地本願寺GINZAサロンで開催されました。ご来場そしてご覧頂きありがとうございます。 まず三遊亭圓雀師匠に落語「蒟蒻問答」を演じて頂きました。ある日、禅僧が禅寺を訪れて禅問答を求めます。すると、こんにゃく屋の主人が大和尚に扮して問答に応じます。主人はそのつもりはなかったのですが、禅僧はその身振りを仏教の教えと受け取りました。 その後、私は「気づかないうちにしていること」について話しました。こんにゃく屋の主人は知らず知らずのうちに禅僧に教えを授けていたと言えます。実際、日本の宝くじの収益の約40%は福祉事業に充てられています。これは、賞…
救いは「気づく」もの? 近代浄土真宗の巨星・足利義山の「信心」をめぐる探求 導入 「阿弥陀さまに救われる」—。 それは、いつの間にか、ぼんやりと起こる出来事なのでしょうか?それとも、心が「ハッ」とするような、明確な「気づき」を伴うものなのでしょうか? 幕末から明治へと日本が激動した時代に、浄土真宗の教えを未来につなぐため、この難問に生涯をかけて挑んだ一人の僧侶がいました。 その名は、足利義山(あしかが ぎざん、1824-1910)。 彼は浄土真宗本願寺派の最高の学者である「勧学(かんがく)」として、当時の仏教界が直面した大論争の真っ只中に立ちました。 この記事では、難解とされる義山の教えの核心…