阿弥陀仏の他力本願(阿弥陀如来の力によってなされた約束)を信じることで成仏できるとする。鎌倉初期、法然の弟子親鸞によって法然の教えを継承発展させ、浄土宗から出て一派をなした。日本独自の宗派。宗派の成り立ちの経緯から、真宗とする宗派もある。別名一向宗。経典は浄土三部経(仏説無量壽経・仏説観無量壽経・仏説阿弥陀経)。
久しぶりに金沢に行きました。前から行きたいとは思っていたのですが、わざわざ行くほどの強い理由もなく歳月が経過していました。 先週6月7日の朝、急に思い立って行こうという気持ちになり、突き動かされるように新幹線に飛び乗りました。到着すると「金沢百万石まつり」が盛大に行われており、前日の夜には、灯篭流しも催されたとのことでした。 金沢は、親鸞会の講師になって最初に赴任した思い出深い土地です。高森会長が「彼は金沢担当がよい」と言ったそうです。まだ20代半ばでしたが、年配の一般会員の支部の担当でした。自分の祖父・祖母の年代の方々に囲まれ、「我が孫みてーじゃ」と大層よくして頂いたように思います。いまでは…
南無阿弥陀仏という名号は、仏から与えられた「体」としての真理であり、それを称える「行」としての実践でもある。このように、名号は 体=仏の側の完成、行=衆生の側の応答という二面を持ち、両者は分けられないが、意味づけは異なるというのが、浄土真宗の教義的な特徴です。 🔶 はじめに 浄土真宗では「南無阿弥陀仏」という名号が、単なる念仏の言葉ではなく、如来の救いの完成形として尊ばれています。 この名号は、仏の本願そのものであり、「仏教の体(本質)」であり、同時に「行(ぎょう)=修行」であり、またそこに込められた「義(ぎ)=意味・はたらき」を持つものとされます。 本記事では、善導大師の重要な言葉を手がかり…
私は以前、親鸞会というところで後生の一大事の解決を求めていました。そこでも「信心の沙汰が大切」とも言われましたが、思い(特に後ろ向きな気持ち)を自由に言える環境ではなかったと思います。 「心理的安全性」という言葉は、職場でも言われます。私は看護師をしていますが、未だに分からないことだらけです。「聞くのが怖くて自己流でやってしまい、医療事故を起こした」という話はよく耳にします。それは患者さんはもちろん、看護師にとっても不幸な結果です。タイミングや、言葉遣いなどはあるでしょうが、何を質問しても、意見を述べても大丈夫だからこそ、細かい気づきができると思います。それは看護師個人だけでなく、部署全体の成…
6月に入り、雨の日が多いように感じます。今日は少し肌寒いくらいですが、すぐにうだるような暑さが続くのでしょうね。 久しぶりにブログを更新します。私は現在、久保光雲先生の聞法グループ(サンガ)で聴聞させて頂いています。先月東京で、泊りで仏法を聞かせて頂く合宿に参加しました。途中公開講座もあり、とてもよい雰囲気でした。たくさんの宝物を頂いた気持ちです。教えて頂いたこと、感じたことなど一部ですが、皆様とも共有できれば嬉しく思います。 ・信心の三角形について後生の一大事の解決のために、この三角形を実践することが大事であると教えて頂きました。三角形を構成するのは、①法話 ②信仰告白 ③座談 になります。…
『令和元年安居「課外」講義録 『教行信証』の課題と願い』 三木彰円 真宗興正派安居寮 真宗興正派さんの本。『令和元年安居「課外」講義録 『教行信証』の課題と願い』三木彰円 中盤の「元仁元年」のお話はとても学術的興味が刺激される面白いものだった!みんな大好き明恵さんもでてくる。『阿弥陀経』の多善根について21文字抜けているとは知らなかった。後半の課題と願いというところは後序をみていくんだけど、三木師の宗教観がうかがえてなんか法話みたいになっていてとてもよい。 自分に刺さったところ「取捨を加うと雖も、毀謗を生ずること莫かれと」【第二版】P236親鸞聖人が自分の書いた『教行信証』が完全なものだという…
築地本願寺の月刊誌『築地本願寺新報』6月号が発行されました。ネット上でも読めます。 Tsukiji Hongwanji temple has published the June issue of "Tsukiji Hongwanji Shimpo", a monthly magazine. You can read it online. my.ebook5.net 今月号の特集はマンガです。私は「SPYxFAMILY」と「マッシュル」を取り上げました。普通とは別の生き方も大事です。誌面には表紙を掲載していますが、著作権の都合でここでは伏せてあります。 This month's issue f…
教義を学ぶときは、「○○先生がこう言っていたから」「△△先生の本にこう書いてあったから」というのは、本当の意味では支えにならないと思います。なぜなら「○○先生がこう言っていた」というのは、あくまでもその先生の解釈であり、いわば「又聞き」のようなものだからです。先生によって解釈が変わったりするので、先生たちの言葉を追いかけると、ふらふらと落ち着かないままになります。ですので「龍雲がこう言っていた」というのも、教義理解のヒントにはなるかもしれませんが、やはり「又聞き」でしかないでしょう。 では何を重視するべきかというと・・・それは、お聖教のご文です。 とくに、親鸞聖人が書かれたものが基準になります…
メールマガジンを発行しています。 メルマガ読者の方々からいただいたご感想を紹介いたします。 この回では覚如上人について書きました。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 龍雲先生、今回もご配信ありがとうございます。今回のメルマガを拝読させていただき、改めて阿弥陀仏の本願を正確に理解することの大切さを思い知らされました。本願はどれも大切ですが、私たちの後生の一大事の解決に一番関わってくるのが第十八願であり、正確な教義理解が聞法の助けになるんですね。 - - - 「…
だんだん絵が凝ってきて、ついには面積が半分以上となり、文字の部分を凌駕する勢いである。 書き手の坊守さんもさぞ気合が入っていることだろうと推察する。
江戸時代の末期、薩摩長州連合軍が「錦の御旗」を翻して官軍であることを誇示しました。その権威と正当性を訴求する効果は絶大で、徳川幕府の大軍は戦意を失い敗走を重ね、一気に明治維新へと雪崩れ込んで行ったと言われます。 日本人は、元来素朴で純粋な民族だからか権威に弱いと言われてきました。マスコミという情報権力を盲信し、東京一極集中にますます拍車を掛けている昨今の現実にも通じるものがあるのかも知れません。 親鸞会設立の理念は、「正しい親鸞聖人の教えを全人類に徹底する」という「錦の御旗」を掲げようとするものであったはずです。本願寺の間違いと腐敗堕落を糾弾し、勇ましく真宗改革に立ち上がる、唯一無二の善知識に…