阿弥陀仏の他力本願(阿弥陀如来の力によってなされた約束)を信じることで成仏できるとする。鎌倉初期、法然の弟子親鸞によって法然の教えを継承発展させ、浄土宗から出て一派をなした。日本独自の宗派。宗派の成り立ちの経緯から、真宗とする宗派もある。別名一向宗。経典は浄土三部経(仏説無量壽経・仏説観無量壽経・仏説阿弥陀経)。
だんだん絵が凝ってきて、ついには面積が半分以上となり、文字の部分を凌駕する勢いである。 書き手の坊守さんもさぞ気合が入っていることだろうと推察する。
江戸時代の末期、薩摩長州連合軍が「錦の御旗」を翻して官軍であることを誇示しました。その権威と正当性を訴求する効果は絶大で、徳川幕府の大軍は戦意を失い敗走を重ね、一気に明治維新へと雪崩れ込んで行ったと言われます。 日本人は、元来素朴で純粋な民族だからか権威に弱いと言われてきました。マスコミという情報権力を盲信し、東京一極集中にますます拍車を掛けている昨今の現実にも通じるものがあるのかも知れません。 親鸞会設立の理念は、「正しい親鸞聖人の教えを全人類に徹底する」という「錦の御旗」を掲げようとするものであったはずです。本願寺の間違いと腐敗堕落を糾弾し、勇ましく真宗改革に立ち上がる、唯一無二の善知識に…
今週のメールマガジンは、日本一といわれた名僧・香月院深励(こうがついんじんれい)師です。 妙好人との法味あふれる逸話をご紹介しています。 南無阿弥陀仏
親鸞聖人は『教行信証』「行巻」に、 「大行とはすなはち無礙光如来の名(みな)を称するなり」と述べられています。 古来、浄土真宗の宗学ではこの文に対し、様々な解釈と味わいがあったようです。以前の投稿でも書きましたが、大きく分けると「能行」派(衆生が称える念仏行)あるいは「所行」派(名号のはたらき)ということになると思います。 ⑦「行信」について - 親鸞会の卒業と「念仏の信心」のススメ-ブログ この文の解釈は、「行信」の領解の根本的な部分でもあり「能行」「所行」派でもそれぞれに細かい違いがあり「折衷」派も存在しているとされます。今日の本願寺派の和上方も同じではなく多くの流派の存在が窺えます。 解…
久しぶりにこのお寺の前を通ったが、相変わらずの論調である。 本山だと「教えてやる」調になるのだろうか? そんなことはないと思うのだが、、、。
教義理解において「読む側が間違う」ということがある。 たとえば本願の内容でいうと、親鸞聖人は「名号をとなえる者を極楽に迎える」という本願だと表現しておられる。 このときに、 ・「名号をとなえる者を救う」・「名号をとなえたら救う」 の違いが分かるだろうか? この「となえる者を救う」という文を読んで、 「名号をとなえたら救う、というのは間違っている。他力のご信心には衆生のおこないは関係しないはずだから、本願には称名は入っていないはずだ」 と早とちりして誤読する人もいる。 これは「となえる者を救う」が、脳内で「となえたら救う」に変換されてしまっているのである。 たしかに「名号をとなえたら救う」と誤読…
メールマガジンを発行しています。 メルマガ読者の方々からいただいたご感想を紹介いたします。 この回では『大無量寿経』について書きました。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 龍雲先生、今回もご配信ありがとうございます。大無量寿経は読んだことはありますが親鸞様が大胆にも読み替えを駆使されたことまでは知らなかったです。ご自身の救われた体験をもとに教義理解をされたんですね。臨終待つことなしと親鸞様がおっしゃっていたことは知っていましたが、お聖教に根拠があるとは思いも…
「外道」ということについて少し書きたいと思います。 親鸞会では「外道」は真理の外側の教えであり仏教以外の宗教であると主張し、その関係は邪であり悪だとして徹底的に排除します。自身も親鸞会で教えられた通りに自他ともに「外道」を排除し関係を絶つように強く推進していた時代がありました。自分の親や周囲からは異様なものとして映っていたことでしょう。その言動は阿弥陀如来の慈悲の教えと遠く隔たっていたに違いありません。 確かに、仏教経典に「外道」という表現が存在していますが、最近はこの用語を持ちいることに強い抵抗を感じます。何しろ日本の俗語では「外道」を反社会勢力の意味でつかわれたりしますので、そこには侮蔑感…
『令和五年安居「課外」講義録 真宗における小児往生ー江戸期の論争に学ぶー』 井上見淳 真宗興正派宗務所 教務部 こういうのが出てると聞いて興正派さんのサイトでゲット。 「名代だのみ」というのをご存じだろうか。子供が生まれたら数日でお寺に行って、本堂で「改悔文」を親が赤ちゃんの代わりにとなえて、子供のうちに死んでも往生間違いないね!みたいな儀式。ああ、これは親の願い、祈りだよね。 知らんかった…。これは真宗なのかと思ったら、三業惑乱とかとも関わっているとのこと。なるほどなあ。 本は江戸時代の書籍からいろんなパターンを明示してくれているが、小児往生について問われた場合、往生したかどうかはわからない…
第一問答 問ふ。如来の本願(第十八願)、すでに至心・信楽・欲生の誓を発したまへり。なにをもつてのゆゑに、論主(天親)一心といふや。 答ふ。愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を発したまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす。このゆゑに論主(天親)三を合して一とせるか。 第二問答 また問ふ。字訓のごとき、論主(天親)の意、三をもつて一とせる義、その理しかるべしといへども、愚悪の衆生のために阿弥陀如来すでに三心の願を発したまへり。いかんが思念せんや。皆さまお疲れ様です。 やっと更新します。 三一問答で、永劫に更新できないと思っていました、 難度海で沈没している私にとって、この…