「聞名の救済」について続けたいと思います。 「聞名の救済イメージ図」は、言うまでもありませんが浄土真宗の教義をすべて描写できていませんので、図に描くことのできていない点を追記する必要があると思いました。①行者の称える念仏とは、阿弥陀如来に回向された名号です。 私の称える念仏といいましてもそれは、「本願招喚の勅命」すなはち「阿弥陀如来の呼声」が私の口から出ているものです。 私は念仏を称えて助かろうなどという菩提心を発せるものではありません。如来の呼声が、死骸のような煩悩の塊の私の口を通して出て下っているものと言えます。(自力か他力かは関係ありません) あくまで念仏を称える回向の主、エネルギーの源…