親鸞聖人は『教行信証』「行巻」に、 「大行とはすなはち無礙光如来の名(みな)を称するなり」と述べられています。 古来、浄土真宗の宗学ではこの文に対し、様々な解釈と味わいがあったようです。以前の投稿でも書きましたが、大きく分けると「能行」派(衆生が称える念仏行)あるいは「所行」派(名号のはたらき)ということになると思います。 ⑦「行信」について - 親鸞会の卒業と「念仏の信心」のススメ-ブログ この文の解釈は、「行信」の領解の根本的な部分でもあり「能行」「所行」派でもそれぞれに細かい違いがあり「折衷」派も存在しているとされます。今日の本願寺派の和上方も同じではなく多くの流派の存在が窺えます。 解…