一般的には、浄土教系の仏教の宗派や宗教団体において「南無阿弥陀仏」と称えることを言う。 元々の仏教(上座部仏教)においては読んで字の如く、仏陀を念じ釈尊の説く教えや振る舞いとその尊さを思う事である。
仏を念じる念仏以外にも、僧(十大弟子が主たる対象になる)を念じる念僧、法(ダンマ)を念じる念法がある。
第一問答 問ふ。如来の本願(第十八願)、すでに至心・信楽・欲生の誓を発したまへり。なにをもつてのゆゑに、論主(天親)一心といふや。 答ふ。愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を発したまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす。このゆゑに論主(天親)三を合して一とせるか。 第二問答 また問ふ。字訓のごとき、論主(天親)の意、三をもつて一とせる義、その理しかるべしといへども、愚悪の衆生のために阿弥陀如来すでに三心の願を発したまへり。いかんが思念せんや。皆さまお疲れ様です。 やっと更新します。 三一問答で、永劫に更新できないと思っていました、 難度海で沈没している私にとって、この…
Cancel Everything!!それがナムアミダブツだいわゆる祖師という呼び方がされる僧侶がいる一遍さんもそのひとりだしかし、同じ浄土系の法然や親鸞に比べて、一遍さんの認知度はあまりに低い残された書物の少なさやその後の教団の規模の小ささなどあるだろうしかしなんと言っても、ナムアミダブツだけであとは要らんと言うんだからそれ以上、なにもないではないか!新刊で出る関連本も少ないだから出版されたら即買いだ近頃出た本で、「一遍踊って死んでみな」という文庫本がある著者の白蔵盈太氏も言うように、史実と呼ばれるものが大幅に脚色されているだがそれがなんとも面白い!傑作である教義云々とすれば100%頷けない…
ご縁があり、浄土真宗の教えを聞いておられる方に、「なかなか信心を頂けない」と悩まれる方は少なくないと思います。私自身、そうでした。 「信心を頂きたい」という思いは、言い換えれば「信心を頂かなければ救われない」という理解からと考えます。 一方、阿弥陀様は何とおっしゃっておられるか?「念仏をとなえるものを助ける」とだけです。何の条件もありません。「そのままの救い」とも言われます。ということは、今この瞬間の私が救われるということです。これと、「信心を頂かないと救われない」は何かすれ違っているように感じないでしょうか…? 信心と言っても聞くことと教えて頂きます。「聞即信」と言われます。聞くとは、阿弥陀…
少し親鸞会の話が続きましたので、今回は真宗教義について述べたいと思います。 浄土真宗は「聞名の救済」すなはち「名号を聞くことによる救いの法」が教えられています。 親鸞聖人は『教行信証』「行巻」に、 「称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。 正業はすなはちこれ念仏なり。 念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。 南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なり」 と説かれました。ここで「正念=信心」「正業=救済のはたらき」ですので、わかりやすく単純化させて頂きますと、「称名=信心=名号(南無阿弥陀仏)」は救済のはたらきであると言うことになります。 ただしこれは、凡夫の側から見ているのではなく、如来の側から回向のは…
本日、1月1日 は何の日かをまとめてみました。 薮入り 薮入りは、江戸時代に商家の使用人が家族を訪れるための休暇として定められた1月16日の行事です。小正月の一環として行われ、家族との再会が重要な意味を持ちました。 閻魔参り・閻魔賽日 閻魔参りは、1月16日に行われる日本の伝統行事で、地獄の門が開かれるとされ、罪人の救済を祈るために多くの人々が閻魔寺を訪れます。閻魔賽日は、休養の意味も込められた重要な日です。 念仏の口開け 1月16日は、仏教における「念仏の口開け」として、新年初めて念仏を唱える日とされます。これは、神々が新年に馳せられた後に行う祈りの儀式です。 禁酒の日(1月16日 記念日)…
私が念仏をとなえるまで、前回の続きです。 thinking-about.hatenablog.com 離婚が成立した後、元嫁と共同で行っていた事業は一人できりもりしていましたのですが、経営は厳しさを増す一方で、いよいよ破産が現実味を帯びてきました。 ある休日の夕暮れ時、私は一人で暮らすには広すぎる家で、一人ビールを飲んでいました。煙草を吸おうとグラスに入ったビールを持って庭に出ました。陽が沈んだ、薄明るい西の空を見ながら、ビールを片手に煙草を吸いました。その時、私の口から「南無阿弥陀仏」という念仏が出てきました。私が初めてとなえた念仏です。 なにやら神秘的な出来事のような書き方をしてしまいまし…
本日、12月16日は何の日かをまとめてみました。 電話創業の日 1877年12月16日に日本で初めて電話事業が開始されました。これを記念して「電話創業の日」が制定されました。電話技術は、その後の通信インフラの発展に大きく貢献しました。 紙の記念日 「紙の記念日」は、紙が多くの産業や生活の場面で重要な役割を果たしていることを認識する日です。紙の歴史とその多様な用途を振り返ります。 念仏の口止め(12月16日 年中行事) 12月16日は、念仏を唱えない「念仏の口止め」という風習があります。これは、年末の厳粛な期間を迎える準備の一環とされています。 フリーランスの日 フリーランスとして働く人々を称え…
前回の続きです。 thinking-about.hatenablog.com 再婚した後の私は、仕事や子育てにも忙しく、自分で本を読む時間もほとんどありませんでした。時間的なこともそうですが、自分が向かい合う対象も、家庭のこと、仕事のことが中心でした。そしてまた、宗教とは縁がない生活が続いたのです。 初めの頃は子供と嫁と、楽しく幸せに思える暮らしが続きました。忙しい毎日でしたが充実感もありました。しかし、結婚生活が十年近くなってきたころに、嫁との関係がうまくいかなくなりました。その数年前から、私は嫁と一緒に事業を立ち上げていました。私は経営者としての仕事、現場の業務、育児や家事の主夫業、時々家…
以前勤めていた会社の元同僚に久しぶりにばったりと会いました。 将棋の藤井聡太七冠の追っかけをしているそうです 最近は将棋のイベントや大盤解説会で藤井ブームの影響で見る専門の(見る将というそうです)マダムが増えてきており、その子供達にも将棋を指す人が増えてきているそうです。 (将棋には手を読む力も大切ですが、詰む詰まないの形や形勢判断、考えなくても手が見える力が必要らしい。) 先日ネットで対局している時にいきなり即詰みに討ち取られました。 ここでふと人生でもいつ事故や急病で死が訪れるのかはわからないのだなと頭によぎる。(ただ私が弱いだけです) 自分ではまだまだだと思っていても蓮如さまの仰られる通…
私が念仏するまでの歩み、前回の続きです。 thinking-about.hatenablog.com 阿満利麿先生の別の本を読みたいと思った私は、次に『無宗教からの『歎異抄』読解』(阿満利麿=著 ちくま新書)を読んでみました。『人はなぜ宗教を必要とするのか』(阿満利麿=著 ちくま新書)の中で、『歎異抄』に触れられていたこともありますが、これも、たまたま書店で見つけた阿満先生の本がそれだった、ということも理由です。 この本との出会いは大きなものだったと思います。これまでも何度か、このブログの記事で、この本について触れてきました。これを読んでまず、「親鸞という人はすごい人だ」と感じたのです。800…