このテーマを掲げておいて矛盾するが、自分はこの「国民性」への「憎悪」(感情)が強すぎ、冷静に論じ切ることが出来ない。 そこは所詮「科学者」にはなり切れない個人的気質的限界ともとれるし、自身も「情緒」に流されることに甘える「日本人」に型取られてしまっているともとれる。 しかし、動機が「憎悪」でも構わないし、それ故にこそ(生きた血の流れる「人間」としては)「本物」と見なすこともできるだろう。 「美談化」に逃げる国民性を「壊滅」(できなくとも「激減」)させ、「データ・ファクト・ロジック」に基づき事象を判断できる民と社会へと造り変える。 それが自分の目標である。 なぜ日本人は、事象・人を判断し論じる際…