1880−1950。
不遷流柔術家、柔道家。
明治時代に英国にわたり、レスラーと数多く対戦。スモール・タニ(160センチ、60キロ以下とされる)の異名で人気を呼んだ。
実業家E・W・バートンライトが設立した「バーティツ」道場でも指導、これがシャーロック・ホームズが作中で身につけているとされた東洋武術「バリツ」のことだといわれている。
1903年には、”ライオン”の異名を取ったジョージ・ハッケンシュミットに挑戦状を叩きつけたが、ルールはグレコローマンか柔術ルールかなどで合意に至らず、試合は実現しなかった。
のちに1918年に設立されたロンドン武徳会で指導者に。
1920年、講道館が二段を贈る。
日本には帰国せず、英国で生涯をとじた。
リスト::格闘家
引用資料