明治十年代半ば、自由民権運動は、すっかり時代の「流行り物」と化していた。 大阪あたりの抜け目のない商人(あきんど)が、「自由餅」だの「改新まんじゅう」だの何だのと、既存の品に耳触りのいい単語をさかんに焼き印し、たったそれだけの工夫であるにも拘らず、従来とは比較にならない、素ん晴らしい売れ行きを成就したのは、べつにいい。 後年早稲田の門前で「ホラせんべい」というのを売って――言うまでもなく校租大隈重信の大風呂敷を揶揄ったものだ――、まんまと地元の名物になりおおせたのと一般で、商法としてはむしろ王道に近いゆえ。 (viprpg『ライチエクスチェンジ』より) だがしかし、新生児の命名に「自由太郎」や…