※縄文時代と弥生時代、弥生時代と古墳時代の区分は藤巻慎一郎説に依拠する。 ・紀元前1046年? 後の「中国」と呼ばれる地域では、殷(後の時代の呼称)の王,受(帝辛/紂王)が周王を称する発に攻められ、自害した。(「利簋銘文」『史記』周本紀) 〔参考〕『国語』「周語篇」によると、殷が滅びたときに、木星は鶉火の方向にあったという。 ※紀元前1046年という殷の滅亡の年代比定は、「周語篇」における木星の位置と、利簋の銘文にある「歳鼎」という文字からの交渉である。ただ、銘文には別の解釈ができることや、『国語』内の説話の信憑性などから、年代比定の妥当性には疑問が呈されている(佐藤信弥『周』)。 ・紀元前1…