中江丑吉を古書肆に出す。書架にて隣に並んでいた鈴江言一も出す。ともにわが挫折の残骸である。 中江兆民の長男丑吉は満鉄(南満州鉄道、当時の国策最大企業)勤務を経て、北京に住んだ。日本が中国侵攻する以前からの、いわゆる老北京(ラオペーチン)である。 その人については、当日記にすでに書いた(2022.3.18.「常識学」)。それ以上のことは書けそうにない。 木下順二のエッセイからその名を知ったと記憶する。時代風潮と内面との間の崖に耐えきったドラマ的人物として紹介されてあったのだと思う。思想の科学研究会編『共同研究 転向』に収録された橋川文三の中江丑吉研究を読んだのは、だいぶ経ってからだったように思う…