三方を山に囲まれ、一方が海である天然の要塞であった鎌倉。 鎌倉時代には、交通のために山などを切り開き「切通」(きりどおし)と呼ばれる道が造られました。 中でも、「極楽寺坂切通」は、鎌倉七口と呼ばれる重要な道の一つで、西国から鎌倉への入口でした。 歴史上、極楽寺坂が知られるようになったのは、1333年(元弘3年)の新田義貞による鎌倉攻めでしょう。 後醍醐天皇に呼応した討幕軍は、緒戦で幕府軍を破り、鎌倉の西の藤沢まで進軍します。 その後、三手に分かれ、巨福呂坂(こぶくろざか)、化粧坂(けわいざか)、極楽寺坂の各切通の突破を図り、幕府軍との間で激戦が繰り広げられました。 そして、極楽寺坂切通のそばに…