中学を卒業後、バスガイドとして地元・熊本のバス会社に就職した八代亜紀。 だが、歌を諦めきれない。 そこで熊本市内のクラブで専属歌手になったが、たちまち両親の知るところとなり、15歳で故郷を離れる。東京・銀座で、クラブ歌手として歌うようになった。 しかし、彼女には、どうしても父に認めてもらいたい、という思いがあった。 「歌手になりたい!そのためならどんな苦労もいとわない」。 意を決してそう告げる八代の言葉に黙って頷いた父・敬光さんは、以降、毎月かかさず2万円の仕送りを続けたといわれる。 そんな八代が「舟歌」「雨の慕情」などを立て続けにヒットさせ、演歌の世界に「八代亜紀あり」といわれるようになった…