長崎国際文化会館 昭和20年8月9日、広島に続いて長崎にも原子爆弾が投下され、長崎は一面の焼け野原と化しました。多くの人々が命を失い、その後も原爆症に苦しみました。 その原爆による惨状を広く伝え、核の廃絶、平和と復興の願いを込める意味から、昭和30年に爆心地を望む丘の上に建てられたのが、長崎国際文化会館でした。 国連ビルを模した地上6階、地下1階、鉄筋コンクリート造りの、当時としては超近代的な文化施設で、上階には市立博物館や原爆資料室が併設されました。設計は、早稲田大学教授だった佐藤武夫氏。 この長崎国際文化会館は、41年後の平成8年(1996)被爆50周年事業に際してすでに解体されていますの…