旧町名。北海道沙流郡門別町。 日高管内の西端・沙流川の下流部に位置した町。町名はアイヌ語の「モペッ」(静かな川)に由来する。2006年3月1日に日高町と飛び地合併し,新「日高町」となった。 2005年国勢調査では人口12,634人。面積428.73平方キロ。 シンボリルドルフ・ミホノブルボン・スペシャルウィークらを産んだ,国内有数の馬産地。旧町域には門別競馬場や観光牧場である日高ケンタッキーファームなど,軽種馬に関する施設が多い。
目次 1.わがまちご当地入場券 2.日高門別駅と近隣の歴史 3.富川駅と近隣の歴史 1.わがまちご当地入場券 新冠町のお隣は日高町(旧門別町地区) まずはわがまちご当地入場券を購入に向かう。 販売しているのはセイコーマートである。 線路わきに花が咲き乱れている。 季節は初夏だろうか。 駅スタンプは疾走する競走馬と騎手である。 裏面は門別競馬場が描かれている。 2.日高門別駅と近隣の歴史 続いて駅を訪問 日高門別駅へ 町役場の近くにあり、駅前の敷地の広さからも旧門別町の中心駅だったと思われる。 パステルカラーの明るい駅舎だが、ここに再び列車がやってくる可能性はかなり低くなってしまった。 門別地区…
鵡川行き列車代行バスは道道 351 号「正和門別停車場線」の「山門別踏切」を渡って、門別の中心街に入ります。 【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。 あれ? T 字路に出てしまいました。おそらく右折が正解だと思われますが……
静内行き列車代行バスは「元静内」を北西に向かいます。 【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。 山側を大回りしていた国道 235 号は、海側に「元静内橋」を架橋してショートカットすることでカーブを緩和しています。
日高町(旧・門別町)庫富(くらとみ) 日高管内のほぼ入口の日高門別の、山側に入り込んだところにある集落。見た感じ、殆どの農家が競走馬の生産に従事してるようでした。以前は普通の農家もあったそうですが、殆ど酪農に移行してしまったそうです。 元は「山門別」と呼ばれてたそうですが、入植者が兵庫・富山の出身者が多かったために庫富(くらとみ)と改められたそうです。 △初回訪問は10年前。日高地方の局めぐりのラスト、ここと豊郷簡易を回って日高地方が完報となりました。春というか、初夏の気持ちの良い日でした。 建物は三角屋根と言って、1960年代北海道でよく建てられてたもの。屋根が急で積雪が積もりにくいのと、パ…
郡は以前は町や村を含む自治体となっていましたが、1923年郡制が廃止されて以来、郡の存在意義はなく、地理的区分としてのみ存在しているようです。郡の廃置分合は、都道府県知事が権限を持ち、都道府県の議会の議決を経て定め、総務大臣に届け出ることとなっています。また、郡に市や区は属さないため、町村に市制が施行されると、その範囲は郡域から除かれます。そのため、市の増加・拡大に伴い多くの郡が消滅しました。北海道でも市町村の統廃合などを繰り返し、いくつかの郡は消滅しています。ここでは1947(昭和22)年の地方自治法施行当時にあった郡以降について調べてみました。 ※個人で調べています。もし間違いがある場合は…
2023年7月12日(水) 本日の予定 さあ、本日が今年の北海道ツーリング最終日。夕方には苫小牧からフェリーに乗ります。16:30までに乗船手続きをするようにとのことですので、16時に苫小牧に着いていれば良いでしょう。土産も買いたいのでできれば15時半目標で。 本日は帯広を出て、普通なら道東自動車道で占冠を通過して、追分で降り、南下して苫小牧というコースなんでしょうけど、とにかく高速道路がイヤなのと、まだ走ったことのない日勝峠(にっしょうとうげ)を走ってみたいということで、海側の日高町まで降りて、海沿いで西に向かって苫小牧という構想です。 ただし、今日は西の方から大型の雨雲が昼から午後にかけて…
炎馬: ねえ、エスポワールシチーって、3歳の春に芝でデビューしたんだって!でも、最初はなかなか思うようにいかなかったみたい。 氷馬: そうなんだ。でも、8月末にダートに切り替えてから凄い快進撃みたいで、4回も連勝してオープンまで勝っちゃったんだよ。 炎馬: すごいね!それからは本格的に活躍して、2009年のマーチSで初めて重賞制覇したんだって。それからはかしわ記念、マイルチャンピオンシップ南部杯、ジャパンCダート、フェブラリーS、またかしわ記念とか、G(Jpn)Iで5回も連勝しちゃったんだって。 氷馬: えー、5回も!?すごすぎる。それで8歳まで頑張って、重賞12勝、G(Jpn)Iは9勝も記録…
炎馬: ねえ、イナリワンって昔の「三強」の一員だったんだって。オグリキャップとスーパークリークと一緒に「三強」を築いてたんだって。 氷馬: うん、デビューは大井競馬で8連勝って、凄いスタートだったよね。 炎馬: そうそう、その後中央に移籍してから1989年に天皇賞・春と宝塚記念を連勝して、実力を見せつけたんだよ。 氷馬: すごい成績だね。秋にはオグリキャップとの死闘があったんだって? 炎馬: そう、毎日王冠でハナ差の2着だったんだけど、その後天皇賞・秋とジャパンCでは敗れちゃったみたい。でも、有馬記念ではライバルを競り落として優勝してるんだよ。 1984年5月7日生 牡 鹿毛父 ミルジョージ母…
炎馬: ねえ、スーパークリークっていう馬、平成時代にオグリキャップとイナリワンと一緒に「三強」と呼ばれてたんだって! 氷馬: 本当?すごいね!1988年には菊花賞を勝って一気にトップホースになったんだって。そして、89年には「三強」の中でバトルを繰り広げてたんだよ。 炎馬: そうそう、勝利は天皇賞だけだったけど、ジャパンCでは4着に入ったり、有馬記念では2着だったりして、上位争いをしてたんだって。すごい実績だよね。 氷馬: そして、翌90年には春の天皇賞も制して、秋春連覇を達成したんだって。スーパークリークは本当に凄い馬だったんだね! 1985年5月27日生 牡 鹿毛父 ノーアテンション母 ナ…
炎馬: ねえ、ナリタトップロードって馬、凄かったみたいだよ。 氷馬:日本ダービーでは僅差の2着だったけど、菊花賞ではテイエムオペラオーを猛追して優勝したんだって! 炎馬: それすごいね!その後も阪神大賞典を2回連覇したり、GIレースで三度の天皇賞・春で3着、ジャパンCでは3着 氷馬:天皇賞・秋では2着になるなど、ずっと中長距離路線で頑張ってたんだ。ファンからもたくさん支持されたんだろうね。 1996年4月4日生 牡 栗毛 父 サッカーボーイ 母 フローラルマジック(父 Affirmed) 馬主/山路秀則氏 調教師/沖芳夫(栗東) 生産牧場/佐々木牧場(北海道・門別町) 通算成績/30戦8勝 主…
痛いニュース(ノ∀`) : colabo「和解金80万払え。投稿も消せ。どの投稿を消せばいいか教えてほしかったら1つに付き10万払え」 - ライブドアブログ ヤクザに一歩でも譲歩するとこうなるっていういい見本です。強い心で要求を拒絶しましょう。 寒暖差にやられたか思いっきり風邪ひいて貴重な休日を丸一日台無しにしてしまいました。タイミング悪くその前々日にコロナ陽性の方と車に同乗しちゃってたんでビビりましたがなんとか大丈夫だったようで。その所為で行けなかったイベント行きたかったなぁ(楽しそうな感想ツイート指くわえて見ながら) ウダウダ言ってんな御託ごと蹴り飛ばしてけ ウマ娘 シリウスシンボリ 「シ…
広島東洋カープ2-1阪神タイガース 24回戦(9勝14敗1分) MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 勝利投手 島内3勝3敗 敗戦投手 加治屋1勝5敗1セーブ セーブ投手 栗林3勝7敗18セーブ 本塁打 (C)末包11号① (T)- 打点 (C)曾澤①末包① (T)ミエセス① 投手 ※数字は自責点 (C)九里①-島内-栗林 (T)門別-石井①-島本-加治屋① 先発、九里は5回までパーフェクト投球で7回1失点の好投。 打線は5回まで6安打重ねながら無得点の拙攻。 同点で迎えた8回裏に末包の本塁打で勝ち越して辛勝。 ------------------------------------…
明治初期に制定された旧国名は主に水系で分けられており(河川が内陸へのメインルートだったため?)現在の振興局とは随分異なります北見枝幸・石狩沼田・天塩中川・塩狩峠‥今も駅名・地名にその名残を留めてます 先週は日高管内北西部、平取町紫雲古津(シウンコツ)という地区へ行って来ました。鳥フル対応の一環として、埋却溝の試掘(地下水位の確認)と防疫演習のためです。 所定の深さまで掘り終わったとたん、災害級の土砂降り! 下は粘土層で浸透した表面水が滞水‥ 結局、実地訓練は中止となったので撤収後に有給を取得、翌日は旭川の病院へ行く予定だったため、富川(日高町)から旭川へ向かうことにしました。 路線バスで沼ノ端…
皐月賞制覇して、三冠競争の臺二関門の、第50回・日本ダービーに、駒を進めてきた、ミスターシービー(Mr.C.B.) グッドルッキングホースであり、二代目でもある、ミスターシービー Mr.C.B.が参戦する、4歳馬(現・3歳馬)が対象の、重賞競走 日本ダービーだが、実は、ブライオリーパークの仔として生まれた、初代が、昭和12年(1937年)4月29日に行われた第6回に出走させた経緯があるが、この時は、日本ダービー馬史上初、初の牝馬として優勝した、ヒサトモの10着に敗れたことがある、千明牧場・代表 千明大作さんの父・賢治さんの時である。 千明牧場では、翌年(1938年・昭和13年)には、第7回とな…
炎馬:ミホノブルボンはデビュー戦で見せた直線一気のすごいスピードとか、ヤマニンミラクルをハナ差で抑えた朝日杯3歳Sとか、まるで筋肉の鎧をまとった短距離ランナーみたいな体つきからも、スピードが一番の武器なんだよね。 氷馬:それにミホノブルボンは、元トレーナーの戸山為夫さんが馬を強く育てる信念で、栗東トレーニング・センターの新しい坂路で厳しいトレーニングを積ませて、さらに力を引き出してたんだよ。 炎馬:だから、スプリングSで7馬身差で勝ったり、皐月賞では2馬身半差で優勝して、日本ダービーでも4馬身差で優勝して、クラシック競走でも圧倒的な力を見せて二冠を達成したんだ。 氷馬:秋の京都新聞杯では日本レ…
炎馬:ねえ、この馬の成績すごいよね!17戦して10勝で、2着が4回、3着が2回、着外はたった1回だって。安定してるし、エピソードも豊富で、スペシャルウィークって本当に特別な馬なんだよね。 氷馬:うん、そうだね!特に98年の日本ダービーの勝利は素晴らしいよ。武豊騎手が12年目にして初めて勝ったって言うから、すごく感動的だよね。最後の直線で鞭を落としちゃったけど、それでも勝てると思ったんだって。プレッシャーにも負けずに頑張ったんだろうな。 炎馬:そうなんだ!勝った後に発熱して寝込んじゃったって話もあるんだよね。でも、スペシャルウィークは本当に優れた馬だったんだね。ジャパンCでもモンジューを下して雪…