豊後及び海部郡佐伯地方の歴史背景をあらためて名字から紐解いてみた。全てこの絵(壇ノ浦の戦い)に始まる。武家政権の成立である。中央武力政権と氏族の関係性(勝者と敗者)、またそれぞれの国(令制国66カ国)の固有性(地政、地勢)の違いにより概ね把握が可能である。 鎌倉政権との関係性において、多くが平氏の知行地であった西国で豊後は唯一関東御分国(頼朝政権の直轄9カ国)の一つとなった。幕府は頼朝腹心の大友氏を豊後守護に据え直接統治を始める。豊後の豪族への抑止の必要性からである。豊後の豪族大神一族は義経を支援し頼朝討伐に加担した。その武力は無視し難い。因みに堅城岡城も大神一族の棟梁・緒方惟栄が義経を迎える…