闕宣を扱う前に曹嵩の死の経緯をサラッと見ておく必要がある。 武帝紀の該当箇所を抄訳しておく。 ・193年春、袁術が兗州し、曹操がこれを撃退する。袁術は淮南に逃走。・闕宣が天子と自称し、陶謙と連合して泰山郡、任城国に侵攻。・秋、曹操が陶謙を討伐し、10余城を降す。・194年春、曹操が徐州から帰還する。・もともと曹嵩は徐州に疎開していたが、陶謙に殺されたため、曹操には復讐の意思があった。・夏、また陶謙を討伐した。(略)至る所で殺戮を行った。 これだけ読むと、先に陶謙が曹操にちょっかいを出し、曹操がこれに反撃を加えたのが第一次の徐州侵攻。そしてその後に曹嵩が殺され、第二次の徐州侵攻では大虐殺が行われ…