反スターリン主義前衛党組織の労働者的本質の消失 七 一九九〇年代初頭に二人の常任メンバーがめざしたもの 一九九〇年四月とそのあと 一九九〇年四月に、それまで組織的に処分され教育的措置をうけていた私は、東京にもどされた(前原茂雄の言によれば、このことを彼が提案し、黒田寛一が決定した、ということであった)。私は、足利隆志・片桐悠・土井の三人が住んでいるところに居候することとなった。 そこでの生活をとおして私がつかんだのは、足利と土井の二人が、一九八〇年代中頃の労働学校における経験豊かな労働者同志の講演と労働学校そのもの、および、『労働運動論』(こぶし書房)に収録されている「労働組合運動の左翼的推進…