昭和61年4月10日発行 勝小吉は、小普請御支配石川右近将監の下屋敷に奉公に出ていた。何事も賄路次第で人はそれにより地位を築いていたという時代だった。小吉は分限者(おかねもち)男谷(おたに)家に生れたが、幼いころ、小普請役(無役の御家人)の勝家の養子に入った。実父・平蔵は小吉の御番入のために五百両を用意しようと小吉に言うが、曲がったことが嫌いな小吉はそんなこと迄して御番入をしたくない、生涯小普請(むやく)でよいと言う。小吉の実兄彦四郎は代官を信濃で務めており、任地に帰る予定だったため、小吉を連れて帰った。彦四郎は、同地で無法を働く岩松満次郎の名代桜井甚左衛門を召捕った。御支配石川右近将監は卒中…