訓読 >>> これやこの大和にしては我(あ)が恋ふる紀路(きぢ)にありといふ名に負ふ背(せ)の山 要旨 >>> これがまあ、大和にいたときに私が見たいと憧れていた、これが紀伊道にあるというあの有名な背の山なのか。 鑑賞 >>> 阿閉皇女(あへのひめみこ)が背の山を越えるときに作った歌。年月日は記されていませんが、直前の歌が持統天皇4年(690年)9月の紀伊行幸時の歌であることから、同じ行幸の際に詠まれた可能性が指摘されています。阿閉皇女は天智天皇の皇女、草壁皇子の妃だった人で、後の元明天皇です。この時は、夫の草壁皇子が亡くなって1年半近くが経っており、子の軽皇子(後の文武天皇)は8歳になってい…