苦しいときにおもい浮かべる息子の笑顔は創造ではなく、いつも再生だ。日常の生活のなかで笑っていた息子の記憶が、いまの出来事と関係なく再生される。いま一緒にいる時間で息子のかなしい顔を減らすことができれば、穏やかな死の間際にかなしい顔をした息子をおもい浮かべずにすむのではないだろうか。 病気はちいさい子どもがいる親の気持ちに配慮も自粛もしてくれない。きっと死ぬときの五分前に、ぼくは息子のことをおもい浮かべる。きっと苦しい死の間際の五分と、穏やかな死の間際の五分とではみえる景色は違うのだとおもうけど、ぼくはできれば走馬灯をコントロールしたい。(浅生鴨、幡野広志、田中泰延、他『雨は五分後にやんで』ネコ…