劉備は諸国を放浪していた時に、劉表の下にいたこともあった。
劉表と食事をしていた時に、中座して厠に行った。自分の腿の肉を見て、馬に乗らないゆえに垂れ下がっているのを知ると、自分には戦功を立てる機会に恵まれないのかと嘆いたという。
これがきっかけとなり「脾肉の嘆」の故事が生まれた。
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若い頃は、うだつの上がらない自分の生活ぶりを、髀肉の嘆、などと言っておりました。 当時の自分の年齢からすれば、臥竜、の方がしっくり来るぐらいでしたが。 それから幾歳も重ね、今の僕はまさに、髀肉の嘆、だなぁ、と。 劉玄徳の髀肉の嘆は、北方で袁紹が曹操に敗れてしまい、荊州に逃げこんで居候していた時期の話ですね。 その時の荊州の領主は劉表で、転がり込んできた劉玄徳に領内北方の城を与えます。対曹操最前線に置いたわけです。 この頃の劉備は、不遇ではありましたが、特に何かがあるわけでもない、彼の人生の中では静かな時だったと思います。野望は大きい人なので、その平和を楽しんではいなかったでしょうがね。 立ち位…
私の人生において、というと大袈裟ですが、この2年、いや3年が、今までで一番、停滞している時期だと思います。 ふと、親父が今の自分と同年代だった頃を思い出すと、バリバリにやっていたなぁ、と。 それに引き換え、私は、雑務をちょっとやって、そそくさと帰る日々です。 耐える、とか、努力するなどの行動は、主観的なものではありますが、その内容は様々です。 勉強してみたり、とにかく動いてみたり、という努力は、見た目にもわかりやすいですが、じっと耐える、というのもまた、ひとつの努力だと、私は思っています。 三国志、劉備の「髀肉の嘆」などは、じっと耐える努力の代表的な例だと思うのですが、あれも、耐えた後に飛躍が…