宝永5年8月9日。目付衆困窮の願いにより、3斗5升俵で100俵ずつ役料米が下される。ただし、高300石以上には役料はなかった。五十人目付には20俵ずつ役料が出て、押の者には扶持が1人ずつ増える。昨朝、伝左衛門召仕磯右衛門と大久保源左衛門召仕六平2人は手がかりがあると駿河町通から三河路を尋ねに出かける。上田の茶屋で、向かいの観音堂に昨夜寝ていた乞食に聞くようにと云々。2人の乞食が言うには、昨日の深夜惣髪(月額なしに髪を頂で束ねた髪型)の男が小さな提灯を灯してやって来た。この提灯は日頃又左衛門が細工したものであった。ここはどこかと尋ねて、自分は信濃の者で近江に出かけて帰る途中で病気になってしまった…