労働は全て虚無。知識の習得も全て虚無。生きることも。 どんな仕事でも対人関係は避けられない。第三次産業だと尚更そうである。 人によって価値観は違うものであるのだから万人受けすることなどあり得ない。 100のうち99良いことがあっても、1つでも悪いことがあれば気分は下がっていく。 こうして心は死に虚無となり淡々と動作をこなすだけ機械人形と化す。 それは営業でも宅配でも事務でも同じなのかもしれない。 他者からのクレームはどんなに努力してもつく時にはつく 労働疎外・働く事の意義・虚無・手を動かしていれば終わる 今回の鬱ごはんは仕事の評価について。出前の配達のバイトをしている主人公は客の評価に一喜一憂…
父親が自分を生んだ年齢。そこに自分も到達したが、自分は何も成し得ていない悲哀。 幼き頃の情景が自然と思い出される時がある。そこに見るのは大人としての父親。 主人公である鬱野は父が飲むカップコーヒーに大人を見出していた。 思い出に感化され川を見ながらコーヒーを飲もうと試みるも次第に雨足は強くなる。 そこで詠まれる鬱野の感情が今回のポエミィな場面である。 父親は今の僕の歳で父親になっていた。僕は……川べりにたどり着くことすらできない 父の思い出から捉え直す現在の環境における自己の境遇 何だかんだ言って本作の主人公の鬱野は行動的。今回はカップコーヒーを川を見ながら飲もうとします。その契機となったのが…