昭和37年 (1962) に葉タバコ栽培を始めたが、それまでは養蚕をしていた。私は8歳だった。蚕 (かいこ) だけは、私は好きになれなかった。茶の間にも蚕棚を置くことがあって、桑葉を食むシャワシャワという音が今も耳に残っている。自分の食事と重なるときは特に不快だったが、家の現金収入として重視されていることも分かっていたのだろうと思う。いやだとは言えなかった。葉タバコ栽培に変わったことを内心喜んだように当時を思い返す。 養蚕はとても手間がかかる仕事だが農民にとっては稼ぎ頭の家畜であり、明治以降の殖産興業に大きく貢献した生きものである。農村で養蚕技術はとても大事にされた。蚕の糞「コクソ」は良い肥料…